痛くない注射法
詳細はここでは述べません。長文になりますから。まず可能な限り細い針を使用することが原則です。私はリーチが足りない場合を除いて27G 針しか使用しません。針が細いことで動脈や神経を直接刺しても合併症がほぼゼロになります。細いほど確実に痛みが小さくなります。次に左手指の有効利用です。刺入部付近を指圧して刺入時の痛みをやわらげること。指圧して皮膚から目的地までの距離をできるだけ短縮させることです。これにはコツがいります。常に局所麻酔をしながら行うこと。皮膚を針が通る痛みは指圧でやわらげ、皮膚から下は局麻剤で痛みをなくします。つまり0.1㏄注射液を入れては3㎜針を勧めるというような感じです。焦りは禁物です。ゆっくり行います。極めてゆっくり刺入することで電撃痛を回避できます。自分に針を刺してみればその意味が分かります。右手はフリーハンド。多くの医師は右手をどこかに固定し針を進めますが、針先にある組織の抵抗を感じながら目的地を探る操作をするためには、固定していたのでは不可能です。右手はどこにもよりかからせず、空中にフリーの状態で自在な動きと針先の触覚を作り出します(なれるまで大変ですが)。針を刺すには力は要りません。毛筆で字を書くのと同じ原理です。次に注入圧をかけないこと。圧がかかるようならそこでシリンジを押してはいけません。圧がかからない場所で液を注射する癖をつけます。
確実に狙った場所に薬を注入する方法
確実に狙った場所に薬を入れる最重要で絶対的な法則があります。それは「ミスすればやり直しすること」です。そのために「ミスしていることを感じ取る」ことです。局麻をしながら注射をしていれば、やり直しの注射は痛くありません。ミスしたことをわかっていないから、ミス注射したまま患者を帰宅させると患者はその注射をトラウマにしてしまいます。そのトラウマのせいで、患者は医者不信になり、本当に必要な注射をしなければならないときに治療を拒否し不幸になります。たかが、ミス注射1本でそうなることを心に打ち込んでください。ミスを察知する能力は、注射技術の中で最も難しい技能です。ベテランの医師でさえ、自分のミスを察知できないものです。その理由は狙った箇所が癒着していたり、空間があるものの針先に軟部組織がはりついていて注入圧を高めていたり、また、狙った空間ではない場所であるのに、結合組織の結び付きが粗のため、抵抗感もなく注射液が入っていったり…など、個人差が非常に激しいからです。
もしかして「入っていないかもしれない」と勘づくことができるようになるためには指先でシリンダー圧を察知する能力以外に、患者の微細な反応で相手がどれくらい痛がっているのかを察知する能力も必要です。痛がっている場合には入ってない場合が多いと思って間違いありません。このような能力を高めるためには、患者の痛みを自分の痛みとして感じ取る共感能力を極力高めることが必要です。
また、医師のプライドが自分のミスを認めることの大きな障壁となっており、このプライドの障壁を乗り越えるためには度量も必要になります。ミスを察知できるようにするには種々の例外パターンを分析していきます。「入ってないようで入っている」「入っているようで入っていない」パターンの認識を、種々の患者の反応と対比したり、注射器を少し引いたり押したりして圧を確認したり、組織を通過するときの圧変化などと合わせて何百通りもあることを覚えていくことです。
ミスを察知する具体方法はここには記しません。長くなるので。ですが、重要なことはミスを察知した場合、全くゼロからやり直すことに対してちゅうちょしないことです。やり直すことは医師の技術料と材料費を2倍分かけるのと同じなので精神的にも経済的にも非常に損した気分になります。この損した気分を「修行だと思う」ことでやり直しに対する精神力がついてきます。これを損だと思うようでは注射技術は向上しません。
確実にねらったところに薬液を入れる技術は、実際のところ
- 入るまでやり直しをする精神力
- もしかして入っていないかもと思ったら「入っていない」と断定する精神力
- もしかして…を察知できる繊細な指先の感覚
- 患者の痛みを取り除けなければ診療費を返すくらいの精神力
- 患者に「効いてない」と言われたら、その原因は全て自分にあるとする精神力
高齢者の脊椎は理解を超えている
硬膜外腔は陰圧と教科書にはかいてありますが、高齢者の脊椎ではしばしば陽圧になり、しかも癒着のために薬液の注入圧が高い場合もあります。高齢者の脊椎は予想外の連続であり、教科書通りの脊椎はほんのわずかしかいません。よって、針の深さは十分であっても、硬膜外腔に入っていない場合、圧が高くても硬膜外腔に入っている場合もあり、例外を学ぶには骨が折れます。実際に薬液が正しいところに入っているかどうかは患者の治療効果で判断します。効果が出ていないなら入っていません。私は非常に自罰的であり、効果が少ない場合は「自分がミスをしでかしている」とする精神で常に臨んでいますが、そんな私でさえ、30回ブロックを行って実際は1度も成功していなかったという例を経験したことがあります。それはある日、一度だけすんなり薬液が入ったことがあり、その時、患者の痛みが著しく長期間改善していたからでした。つまり、それまで行っていた注射は全てミスだったと考えます。
このように、極めて変形の激しい脊椎を持つ患者の場合、ベテランのペイン科の医師に何度ブロックをトライしてもらっても一度も成功しないことがあるという認識を持つことです。それほど究極に変形した脊椎に硬膜外ブロックをすることが難しいということです。
この難しさが理解できるようになるには数年から数十年かかるでしょう。自罰的に反省しない医師であれば一生理解不能です。その理由はブロックが失敗していても常に成功していると思い込んでしまうからです。権威ある医師ほどミスを認めませんから、有名で地位がある医師ほどミス注射であることを理解不能になります。
この事実は残酷なことを言い表しています。それはつまり医師はそのブロックの技術力により、治せる患者と治せない患者が存在するということです。ブロック技術が卓越した医師には治せる病気も、普通の医師が行うブロックでは絶対に治らないということが、変形の激しい高齢患者では起こるということです。関節の変形や黄色靭帯の著しい肥厚、脊椎のねじれ等のおかげです。よって高齢者が脊椎由来の症状を本気で保存的に治してもらいたいと思うのでしたら、自罰的に修行してきたサムライ医師を探すしか手がないということも判明します。そういう医師が全国に、全世界に何人いるのか私にはわかりません。
医学は統計学ですから、10人の医師がいて、9人の医師がブロックで治せない患者がいると、「この病気はブロックが無効」という内容で教科書に掲載されることになります。たとえそれが技術的なミスに由来していたとしても、統計学ではそのようにはじき出されてしまいます。しかしそれは真実ではありません。10人中1人の医師は保存的に難病を治せるのですから。