はじめに
私はおそらく感作性疼痛(中枢感作)による痛みの数々を多く治療した医師の一人である。わかりやすく言えば、筋肉痛、関節痛、頭痛などの末梢の痛みと思われている症状を、神経根ブロックや、硬膜外ブロックなど、痛む場所よりも中枢の神経部位を加療することで治してきた医師である。感作性疼痛は一般的な医師たちにはまだまだ理解の範囲を越えた病態生理であり、診断・治療できる医師は数少ないと思う。感作性疼痛は感作されている場所によって様々症状を示す。よって一言では言えないが、「少し普通とは違うな」と感じる痛みを経験した場合に感作性疼痛を思い浮かべて欲しい。 私の今から述べる理論は、完璧に証明されたものではないが「治療の医学」から導いた痛み治療に関する仮説であることを最初に断わっておく(詳しくは「治療の医学」を参照ください)。感作性疼痛(中枢感作)とは
率直に言って難解である。詳しく説明しようとすれば深みにはまる。現医学で解明され切っていない痛みの仕組みである。だからできるだけわかりやすくいう。 「末梢神経から送られる様々な電気的信号(痛み信号とは限らない)が、増幅されたり変換されたりして疼痛信号として脳に伝えられる」状態。このような錯誤的な疼痛システムが働いている神経は、正常ではなく異常である。異常な状態になっている神経を「感作された状態」と言っている。痛みの閾値が低下して痛覚過敏となることは、私たちは日常的に経験するが、神経抹消の侵害受容器で疼痛過敏状態になっているものは感作とは呼ばない。また、脳の異常で痛み信号が増幅されている状態も感作性疼痛とは呼ばない。あくまで感作性疼痛とは抹消から脳に伝道するまでの経路で、錯誤的に痛み信号が増幅されている状態を言う。これは私の考える感作性疼痛の定義であり、他者の述べる感作性疼痛の定義には耳を貸さない。末梢神経から脊髄の後角に電気信号が伝わる以前に、後根神経節(DRG)ですでに信号の増幅が行われることは既知の事実であり、DRGを中枢と呼べるかどうか?が中枢感作という定義自体をゆるがす(DRGは末梢神経の一部だから末梢?中枢?)。DRGには交感神経からの入力信号が流れ込んだり、電気信号のショートカットが起こったりすることが推測されているが、そうした錯誤的DRGの仕組みは、DRGが中枢であることを意味する。よって私の定義ではDRGは完璧に中枢である。つまり感作は末梢神経のDRGレベルで起こることを宣言しておく。この時点で中枢感作という言葉自体がいかに迷走しているかがわかると思う。しかも定義は学者の都合で毎年変わるものだから信用に値しない。
私は患者に中枢感作による痛みを説明する時に、この単語自体を用いない。理解してもらえないからだ。私はいつもこう説明する。「あなたは現在、足首に3の痛みがあるとします。しかしその信号は脳に伝わる前に脊髄で倍増されて6になっています。この脊髄の痛覚過敏状態を治さないと、痛みが治まりません。ですから、治療は足首にするのではなく、脊髄にさせてください。」と説明する。私は実際にこのように感作性疼痛があると思われる症例には徹底的に脊髄にブロック注射をして加療し、他の医者で治らない難治性の痛みを訴える患者をほとんど全員といえるほどに治してきた。ほとんど全員というのは自慢のために述べているのではない。感作性疼痛は日常的に誰にでも起こっていることだということを強調したいがためにこう述べた。
さらに厄介なことに、「中枢感作」という単語は日進月歩でその意味が拡大解釈されていて、現在は過活動性膀胱、原発性月経困難症、自律神経失調症なども中枢感作の一部と言われるようになってきている。それには同意するが医療後進国の日本の医師たちにはまだまだ理解してもらえない概念であることを述べておく(2013年現在)。神経が感作されているとき、それは痛みだけが増幅されるのではなく、残尿感が増幅されたり、めまい感が増幅されたり、発汗が増幅されたり、耳鳴りが増幅されたり…する。それらも含めて私の中の定義では感作であり、こうした拡大解釈は一般の医師たちに全く浸透していない状態である。
中枢感作の実際
中枢感作の原理についてはここでは述べない。「どういう症状が中枢感作なのか?」について、私がその治療経験に基づいて解説する。実際の診療で中枢感作の症状と遭遇することは難しい。なぜなら、どの症状が中枢感作なのか?はその症状を「治さない限り判明しない」からである。例えば「膝が痛い」と訴える患者がいるが、この痛みが単に膝関節の痛みか?それとも神経の感作システムによって増幅された関節痛なのか?は、現医学で知る方法はない。唯一、膝関節へのブロック、硬膜外ブロックなどの治療で痛みを完全に取り除くことができて初めて、その痛みが関節由来なのか?神経由来なのか?が判明する。すなわち、「治せない医師」には感作性疼痛なのかどうかがわかりえない。しかしながら、実際の診療で「膝が痛い」と訴える患者に腰部硬膜外ブロックや神経根ブロックを施術できる医師はまずいない。なぜなら、患者は痛みの原因が膝にあると確信しているのでリスクの高い硬膜外ブロックを承諾するはずがないからである。私の場合は痛くなく安全にブロックができるという特殊技術を持っているので患者に硬膜外ブロック、または神経根ブロックを手軽に勧めることができる。そういった特別な技術がない限り、感作性疼痛の存在を見つけ出すことさえできないのだ。よって、ここに感作性疼痛の実際を論ずるが、私のような治療経験がある医師はほとんどいないので、以下の文章はかなり貴重な治療経験である。中枢感作を引き起こすきっかけとは?
1)痛い膝では注射自体も痛い
右よりも左膝の方の痛みが強い患者は、関節内注射をするときに針を刺す痛みでさえ左の方が強く痛みを感じる。これは左膝の慢性の痛みが中枢を感作させ、左下肢に痛覚過敏を引き起こしているのかもしれない。もちろん、単に膝周囲の侵害受容器の閾値が低下しているだけかもしれない。しかし、私は物事をそう単純には考えない。慢性の疼痛が存在すること自体が神経組織を感作させる可能性があるかもしれない(詳細は以下)と考える。2)痛い膝では痛みが倍増加する
1)で慢性の疼痛が存在する膝では中枢感作が起こっていることにより、その膝の痛み自体も増幅されて脳に伝わっている可能性を考える。神経細胞は痛み刺激が継続的にインプットされた場合に、疼痛メディエーターを脊髄後角に運び、後角に疼痛錯誤システムを構築させるというようなことができるのかもしれない。この場合、膝の治療だけをしても効果が低い。中枢感作の治療(神経根ブロック・硬膜外ブロックなど)も併用しなければならない。3)注射を痛がる患者には中枢感作が存在するかもしれない
皮膚の表在神経を直撃する場合を除き、針を刺す痛みは「痛がりかどうか?」の個人差を調べる上で役に立つ。顔をしかめる度合いや緊張の度合いから患者がどのくらいの痛みを強く感じたか?がある程度推測できる。注射時に強く痛がる者は中枢感作が存在している可能性がある。私は坐骨神経痛の存在する患者に、毎週、神経根ブロックを行ったが、神経痛が弱いときは針を刺した時にほとんど痛がらず、神経痛が強いときは針を刺したときに悲鳴を上げるほどに痛がる。つまり、針刺しの痛みと坐骨神経痛の痛みが完全に連動していることに気づいた。よって注射の針を刺したときに強く痛がる患者は、それがおおげさなアクションではなく、感作性疼痛が存在する証拠となっていると考えられる。4)慢性の痛みは全て中枢感作の原因となる
頭痛・生理痛・腹痛など運動器以外の痛みも全て中枢感作を引き起こす原因となる。慢性の疼痛信号が、痛みを増幅するシステムを作動させる引き金となると私は推測している。逆もしかりで、中枢感作が存在していれば生理痛が極めて強い痛みとして脳に伝えられると思われる。よって原発性月経困難症の正体は月経が原因ではなく腰神経レベルでの中枢感作が原因であると確信している。つまり月経困難症の治療は婦人科で行うべきではなく、整形外科かペインクリニックで硬膜外ブロックを行って治すべきであると思っている。月経を止めることで痛みを出現させなくする方法は根本治療からかけはなれている。ただし、こうした意見を婦人科医が認めるわけがないので、原発性月経困難症に苦しむ女性は、まだまだ救えないだろう。5)冷えると痛い
冷えると痛いという症状は交感神経からの電気信号が疼痛の回路へと流れ込むためと考えられている。血管の収縮信号も関与している可能性がある。また、血管収縮で脊髄内の血行が不良となり、神経周囲のphが上昇することが神経細胞を感作させる可能性が十分ある。また、冷えること、気圧の変化、感情の変化などの電気信号が疼痛回路へと流入してしまうために感作性疼痛が起こるのかもしれない。また、根反射は温度が低いほど起こりやすいという説があり、温度が感作性疼痛のひきがねになっていることは明らかだろう。6)慢性の疲労(炎症)が感作を引き起こす
凝り、反復の小さな炎症の繰り返しなど、通常は痛みの原因とはなりえないささいな刺激の繰り返しが感作性疼痛を引き起こすきっかけになるかもしれないことを考える。またはその逆があることを私は経験している。つまり神経根炎が存在する神経エリアに腱鞘炎が発生しやすいという現象である。なぜならば、上腕や肩甲帯の神経痛の痛みと、手背の腫れのひどさが完全に連動している症例を経験したからである。腱鞘炎の腫れを治す方法は神経根ブロックであり、腱鞘内注射ではない。神経根ブロックを行うと腱鞘炎の腫れが引くのだから興味深い。小さな炎症の繰り返しには半月板損傷、腱鞘炎、滑液包炎、ガングリオン、筋・筋膜炎などがある。連動した痛みを治療するには局所に消炎処置を施してもなかなか治らない。当然、中枢(神経根)への治療が必要となるがそれを理解することは難しい。7)子宮内膜症による感作性疼痛
子宮内膜症は生理周期に応じて必ず腹腔内・付属器周囲に炎症を引き起こす。この炎症が中枢感作を引き起こす可能性があるかもしれないと推測する。この場合は「排卵を止める」ことが中枢感作を解除するための鍵となる可能性もある。どちらにしても、子宮内膜症で苦しんでいる場合、一度は硬膜外ブロックなどを受け、症状が軽快するかどうかを確かめてみるべきであると思う。中枢感作の起点
中枢感作は誰にでも起こるものではない。中枢感作は神経細胞の血行不良による炎症、糖尿病などで神経細胞の栄養血管の閉塞、自己抗体によって神経細胞や軸索が炎症を起こす、代謝性疾患を持っていて神経細胞に金属が沈着しやすいなどが「発生しやすい体質」として存在する。つまり神経細胞が炎症しやすい体質があると感作性疼痛が発生しやすいと考える。そこに、脊椎の奇形(破格)などが加わると、物理的な損傷しやすさが加わり、そこにむち打ちなどのきっかけが起こると発現すると考える。1)腫れを伴わない軽い打撲や捻挫(成長痛)
滑り台から滑り降りた、1メートルの高さから地面に飛び降りた、遠足に行った、腕をひっぱられた…などをきっかけとしているが、それが腫れを伴わない(熱感もない)程度の軽いものなのに、本人が激しく痛みを訴える場合、中枢感作体質が存在する。小児の成長痛はほとんどが中枢感作によると思われる(「成長痛」の論文参」。2)むちうち損傷後の不定愁訴
頚椎の過屈曲が起こった後に神経根や脊髄の後角などに炎症が発生し、中枢感作予備状態となる。強い衝撃であれば誰でも予備状態となるが、中枢感作体質では軽い衝撃で予備状態となる。予備状態に軽微な外傷が加わると中枢感作が発動する。予備状態になるには数時間から数日を要する。この時間差が受傷直後に痛くなかったのに、後から痛みが出てくる理由であると推測する。感作予備状態となると姿勢が悪いだけでも中枢感作状態に移行し持続性の痛みを引き起こす。中枢感作状態が解除されるまでの期間は通常2週間以内と推測するが、重労働者の場合や、中枢感作体質があると数年以上かかる場合もある。3)学童期に整形外科に何度もかかるのは中枢感作体質の証
学校で行う体育の授業やリクリエーション、課外授業は中枢感作のきっかけとして宝庫と言える。中枢感作を引き起こすには、頸椎や腰椎の過屈曲とその他のささいな外傷を必要とするが、たとえば走っていて両手を地面についたなどの状況はその両方を即座に引き起こす。一般的な医師は手の痛みしか診察しないが、私は逆に手の診察をするのではなく、頸椎の診察をする。痛がり方が明らかにおおげさに見える患者の頸椎は、ほぼ100%、何らかの異常を伴っている。4)原因(誘因)のない疼痛(成長痛)
原因がなく腫れも熱感もなく強い痛みを訴える学童の痛みはしばしば成長痛といわれるが、その実態を把握している医師は皆無に近い。これらの学童には親から受け継いだ中枢感作体質が存在している(注意深く問診するとどちらかの親が同様の症状を経験していることが多い)。実は誘因なく痛みが起こることは皆無であり、必ず「記憶に残らない程度」の外傷のきっかけが存在している。これがまさに中枢感作体質の特徴的な所見でもある。軽微な外傷がきっかけに強い痛みが出現することこそが中枢感作の特色である。しかしながら学童期を過ぎて成人になっても中枢感作体質が改善されない人が存在する。そういう人は労働で激痛となるため、労災認定や雇用でトラブルになるケースが非常に多い。社会に適応するためには中枢感作体質を根本的に治療する必要がある。5)寝具(姿勢)が原因の中枢感作
長時間の悪い姿勢は脊髄に炎症を引き起こす。この概念はあまり知られていない。脊髄は過屈曲になるとその全長が引き伸ばされて阻血になりやすく、同様に神経根にも張力がかかる。たとえば枕が高いだけで頸部の神経根は引っ張られて神経根炎が起こる。寝具が悪ければ睡眠中長時間の悪い姿勢をとっていることと同じであり中枢感作を引き起こす。長期臥床の高齢者ではこうした中枢感作が起こることは必須と考えて差し支えない。よって肺炎で入院して、退院時には車イスというような症例も珍しくない。高齢者でなくとも、長時間パソコンやゲームをしていると頸椎屈曲のために中枢感作が起こるであろう。ただし、どのくらいの時間で感作が起こるか?は個人差が大きく不明である。重要なことは、長時間の暴露では健常人にさえ感作が生じるということ。そこにヘルニア、骨棘、脊柱管狭窄、椎間孔狭窄などが存在している必要はない。ただし中枢感作体質があれば、健常者よりも短時間で罹患し、症状が遷延化する傾向がある。アロディニアの臨床
中枢感作の代表格的症状がアロディニア(異痛症)である。通常では痛覚と感じられないほどの些細な知覚刺激に対し痛みを感じる現象を言う。風が当たっただけでも痛みとして感じ取られるというような状態を言う。アロディニアの原理はまるでわかっていなかったが、最近では「通常なら疼痛抑性に働くはずのGABAが疼痛刺激へと変換される仕組み」や「後根神経節レベルでの電気的混線(エファプス)及び神経発芽(スプラウティング)による変換」が示されている。ここで重要なことは、アロディニアは様々な電気信号を痛覚に変換してしまえることである。例えば筋肉の収縮情報や位置情報、温度情報、内臓の知覚(尿意、便意など)さえも痛覚に変換され得るということである。しかしながらこうした痛覚変換の概念は医師たちの脳裏に浮かぶことが全くない。よって「患者が感じる痛み」は様々な誤診を生む温床となっている。筋肉が動いた情報が痛覚に変換されれば、医師も患者もそれを筋肉痛と推測。関節が曲げ伸ばしされた情報が痛覚に変換されれば、医師も患者もそれを関節痛と推測。しかしそれらは誤診であり、原因は筋肉にも関節にも存在しない。実際は中枢感作によるアロディニアが原因となっている。アロディニアによる様々な誤診を見破る方法は、唯一、その難治性の痛みをブロック注射を用いて完治させてしまうしかない。筋肉や関節に注射しても痛みが治らず、硬膜外ブロックなどで完治すれば、ようやく痛みが「中枢感作によるアロディニアだった」ことが判明する。