器質的異常のない症状の研究は進まない
整形外科ではよくある話ですが、器質的な異常を全く認めないにもかかわらず強い痛みを訴える患者が外来に多数来院します。小児の場合、それを成長痛とひとくくりにして言うことも多く、成人の場合は心因性とされることが多いという現状があります。これらの患者は全て現医学でお手上げの状態であり、当然ながら積極的な治療を行うことはなく、鎮痛薬で経過観察となるだけです。症状の原因を考えることは無駄であり、誰もてをつけようとはしません。 器質的異常を現医学レベルでは証明できない場合、研究さえ無駄ですから、治療が出来たとしても業績として残りません。情けない話ですが、証拠を示せない病気を治しても、誰にも信用してもらえませんので、信用が第一の医師にとって、器質的異常のない症状を「治そう」と努力することは、何のメリットもないばかりか、逆に「治すほど(研究するほど)信用度が低下する」のでデメリットになります。
我々医師には患者の症状を中心に診察する習慣はなく、徒手テストや器械を用いたテスト、そして画像診断などを元に診察します。強いて言えば、器質的異常のない症状はガイドラインを作成し、それにそって仮想の病名をつけ、ガイドライン通りに治療するのが現状で、そのガイドラインは根治療法ではなく対症療法だというなさけない有様です。 このような現状のため、器質的異常がない患者の場合は「明らかな異常は認めません」と宣言し、患者を見放すか精神科に送るしかありません。特に大学病院や国公立の病院ほどその傾向が強くならざるを得ません。
器質的異常のない症状の多くは「現医学の診断技術で器質的異常がない」だけのことで100年後の医学ではおそらく器質的な異常が指摘される」はずです。
精神科には「現医学水準で器質的異常を認めないが強い症状を訴える」患者が多く流れていきます。私個人の意見として、精神科患者の半数が、「本当の原因は精神由来ではない」が、「器質的異常のない患者」で構成されていると思います。しかし、いくら私がこのように訴えようとも、患者を精神科に送る側の医師、送られる側の精神科医の利害が一致する限り、このシステムは改善されることはないはずです。いいえ、それで社会が成り立っていますから改善する必要もありません。なぜなら、患者側も「精神科病名」をつけてもらえることで社会的に保護されるというメリットがあるからです。
こうした3者のメリットが根強く存在している分野に「真実を追究して病気を研究する」ことは、逆に現在の安定した社会に悪影響を及ぼしてしまうのも真実です。だからこそ、研究は進みません。しかし、敢えて、真実を研究しようとするのが日常損傷病学です。