はじめに
脱中枢感作療法とは神経の末梢の感覚受容器よりも中枢で起こっている刺激伝道系の異常事態をブロック注射などにより改善させ、健常時の神経伝達状態に戻す治療法である。感作とは過敏状態であり、脱中枢感作とは神経の刺激伝導系の過敏状態を改善させる療法である。中枢感作では末梢からの求心性シグナルが様々な方法で増幅され錯誤して脳に伝わるため、たとえば触られた感覚が激しい疼痛となって感じられる(異痛症)、通常ならば気にならない程度の腱鞘炎の痛みが耐えがたい激痛として脳に伝えられるなどの刺激認知の異常が起こる。この場合腱鞘炎だけを何度治療しても神経の感作状態を解除する治療をしない限り激しい痛みは軽快しえない。
この世に存在する不可解な痛みの多くは中枢感作(刺激伝導系が過敏になること)によって生じていると思われ、治療は痛い箇所へのアプローチだけでは無駄で、中枢(神経根、脊髄や脳幹)に生じている異常事態を改善させなければならない。ここではそうした中枢への治療アプローチ法についてのべる。まず、その前に中枢感作を誤解している学者が多いので誤解を解くところから始める。
中枢感作の「中枢の意味」の誤解
中枢感作とは「刺激を伝える系(中枢)が過敏になった状態と定義される」しかし、これはほとんどの学者に誤解されている。中枢=中枢神経 であると誤解するケースである。中枢神経とは脳と脊髄を表すが、ほとんどの学者は中枢感作は「脳や脊髄の刺激過敏状態である」と誤解している。この定義では神経根で起こる中枢感作が除外されてしまう。なぜならば神経根は末梢神経だからだ。もしも、そのような定義として用いたいのなら、中枢感作とは言わず、中枢神経感作と呼ぶべきであろう。
例えば交感神経の軸策発芽が神経根に延びて疼痛を作り出す仕組み、神経根レベルで刺激伝達が混線される仕組み(仮説)、神経根に侵害受容器が何倍にも増える仕組み、神経根から後角に向かって軸策が発芽する仕組みなどはどれも神経根レベルで刺激伝導系の過敏状態(感作)が起こる。しかし、神経根は末梢神経である。それらを中枢感作から除外するのは臨床的にあり得ないだろう。
神経根は小さな脳とまで言われる器官であり、ここの感作で起こる疼痛増強のケースが慢性疼痛疾患の中でもっとも多いと思われる。神経根の感作を中枢感作と呼ばないのであれば、もっとも多い疼痛疾患を中枢感作から除外していることになり、中枢感作が臨床的に意味のない言葉になる。どうかお願いである。中枢感作を意味のない言葉にしないでほしい。
こうした理由から、神経根の感作は中枢感作でなければならない。つまり、中枢=中枢神経ではなく、「中枢=神経末端の侵害受容器以外の刺激伝導系の全て」でなければならない。
私は実際に神経根ブロックを1日の外来で最低でも数十カ所行い、年間でのべ3000箇所を行う「神経根ブロックの専門家」のような治療をしている。そして様々な線維筋痛症様の難治性慢性疼痛疾患を実際に治しているが、多くは中枢神経に治療しなくても神経根ブロックで治る。つまり、不可解かつ難治性慢性疼痛の多くは神経根レベルの感作で起こっていることを証明して見せているようなものである。このような実践治療を行っている私から見れば、中枢感作=中枢神経の感作であると考える学者がいるのだとしたら、全く同意できない。
中枢感作は炎症ではないとする破廉恥な考え方
中枢感作に関する誤解で、もう一つ重要なことを述べなければならない。脊髄後角に疼痛メディエーターが到着すると、疼痛過敏システムを構築すること(感作状態となること)は最近の研究でわかってきたことである。このようなシステムを大上段に構えて「中枢感作は炎症ではない」と断言することは医学の進歩に有害である。上記の後角の感作は確かに後角の炎症ではない。しかし上記のシステムは感作の一つにすぎず、全ての感作が上記のシステムで作動しているわけではない。例えば頸椎の神経根は交通事故などでしばしば強い張力を受ける。その際、脊髄の後角では神経根糸の引き抜き損傷が少なからず起こっており後角は炎症を起こす。また、頚髄はヘルニアなどによっても圧迫力を受けて軽微な損傷をし炎症を起こす。そして私の提唱する「脊髄・脊椎不適合」でも頚髄は引っ張られて延髄や脳幹レベルで軽微な損傷を起こし炎症を起こす。そして中枢感作状態になる。
実際は炎症が原因で中枢感作を作る。よって「中枢感作は炎症ではない」と断言する学者がいるのであれば、私は全く同意しない。このような破廉恥な発言は脊髄や神経根が緊張することで損傷するという概念が欠落しているから述べられることであり思慮が浅い。脊髄や神経根が炎症を起こせば中枢感作が起こるのは当然であろう。にもかかわらず、中枢感作は炎症でないと断言するのは破廉恥である。それをいうなら、炎症とは言えない中枢感作のシステムも存在するという程度にいうべきではないだろうか。
炎症とは「特異性のない異物の処理法であり、有害因子を排除し障害組織を修復する過程」を意味する。損傷を受ければ必ず炎症が起こるのである。
実際に交通事故のむちうち後に中枢感作が起こり線維筋痛症で悩まされている多くの患者にどう説明するのだ! もともと、中枢感作は神経細胞が損傷した際の警報システムであるのだから炎症と一心同体であると考えるべきであろう。
中枢感作は混迷している
中枢感作という言葉が日本で使われ始めたのは最近であるが、この言葉の定義がまとまった見解になっていないことを非常に残念に思う。恐らく毎年変化していくとおもわれる。また、中枢感作と神経因性疼痛の境界が非常に不明瞭である。神経因性疼痛の中に中枢感作があると私は理解している。私は臨床的に、患者の不可解な慢性の激痛を治療する際に、痛い場所には治療を行わず、痛い場所の神経支配領域の神経根に治療をしている。神経根にブロックを行い、多くの難治性疼痛を魔法のように治して見せるのである。
その際に、「痛みの原因はその痛い場所にあるのではなく、神経が痛みを倍加させるシステムが働いているので、神経根にブロックします」と患者に伝えて治療を行うことになる。
この「神経が痛みを倍加させるシステム」を私は臨床的に中枢感作と定義している。刺激伝導系が過敏になっているという意味として用いている。他の学者たちが中枢感作をどう定義しようと私は関知しない。
不可解な痛みの理論
- 後根神経節(DRG)における混線:仮説ではあるがDRGに流れ込む感覚器からの信号が痛覚の伝達経路へと混線して流れるという考え方がある。
- 後根神経節における求心信号の分配:同様に仮説ではあるがDRGに流れ込む感覚器からの信号が二股、三股と分配されて痛覚の経路を2倍・3倍と興奮させるという考え方。DRGにはDogiel cellなる神経細胞にネットワークを作る細胞が存在する。このDogiel cellの役割が解明されれば…
- 交感神経節からの発芽:交感神経節の神経細胞から軸策が発芽してDRGとネットワークを作ることがわかっている。これが交感神経からの信号を疼痛の経路に伝え、痛みを増加さえるといわれている。
- DRGの痛覚域値低下:DRG自体に炎症が起こる、またはDRGに疼痛シグナルが慢性的に送られるようになるとDRGに侵害受容器が多数あらわれるようになる。これによりわずかなDRGへの刺激で強烈な痛みが発生するようになる。
- 脊髄後角での軸策発芽:DRGから脊髄の後角に向かう感覚神経が軸策発芽により脊髄後角レベルで痛覚伝達神経とシナプスを形成し、触覚などが痛覚へと変換される。
- 脊髄後角での受容体の変化:脊髄後角でATP受容体の変化などにより痛みに対して抑制的に働くはずのGABAが疼痛促進の信号を伝えるようになる仕組み。慢性の疼痛などの刺激によりこうした受容体の変化が起こる。
- 視床痛:脊髄から送られてきた信号が視床レベルで増幅されて脳に痛覚を伝える。感情の変化やホルモンバランスなどにより生じるであろう。
- 異所発火説:神経が損傷し、損傷した部位で膜が再生する際に電気信号が発生し、その信号が脳に伝わることで痛みなどを感じるという説。
中枢感作は上に挙げたこれらのシステム(まだ解明されていないものも多々ある)の様々なパターンの混合であり、組み合わせ方は無限にある。文頭に述べたが、神経根(DRG)の感作は中枢感作に入れるべきである。ここに挙げた疼痛増強システムはまだまだ全ての疼痛を物語っていないと考えるべきである。よってこれらのシステムのみで患者の症状を診断しないことが望ましい。
特殊な中枢感作
中枢感作とは電気信号が何らかの方法により増幅されて脳に伝わるシステムと考えていい。増幅する仕組みが出来上がったことが「感作」であると言える。感作は何も痛覚だけを増幅するわけではない。例えば膀胱に尿がたまった感覚を増幅し、トイレが近くなるのも中枢感作と考えてよい。雑音が増幅されて耳鳴りとして聞こえるのも中枢感作であるし、網様賦活系に刺激信号が増幅されて眠れなくなるというような難治性の不眠も中枢感作といえる。さらには幻聴・幻覚もある意味中枢感作といえるかもしれない。
しかしながら中枢感作は現医学で解明できていない領域のため、こうした考え方は一般的な医学者たちはしない。よって中枢感作に悩む「どこに行っても治らない」患者たちは途方に暮れるのみである。しかし、米国では上記のような中枢感作があることを研究し始めているようである。さすが米国と感心している。
私はそうした非定型的な中枢感作の患者を救うために脱中枢感作療法を始めた。米国よりも早く、すでに治療を成功させている。
アロディニア(異痛症)の誤解
私はアロディニアについて、現時点で恐らく日本でもっとも詳しく研究している。その理由は、アロディニアの原因は完治させることでしかクリアに判明しないが、私は難治性の疼痛を専門に、多数の患者を完治させてきたからアロディニアの存在を確認できたからである。治さない限りアロディニアが存在していたことさえ分からない。例えば、私は膝の関節痛の40%にアロディニアが存在していることを神経根ブロックを用いて完治させることで、その実態をつかんでいる。このようなデータは「膝痛に神経根ブロックを実施できる」私しか持ち得ないデータである。私は「痛くない、安全な神経根ブロックを即席でできる特殊技術があるのでこのような治療ができるのであって、他の医師には真似ができない。
さて、ここでアロディニアの誤解を解かなければならない。アロディニアの定義は 「通常では痛みを伴うことのないような刺激に対して痛みを感じる」と定義される。 刺激は何でもよいわけで、例えば温覚、冷覚、触覚、振動覚、位置覚、圧覚などである。
例えば、位置覚を痛みとして感じるというアロディニアが存在していたとすると、患者は膝を曲げ伸ばしするとその位置情報を痛みと感じ取り、関節痛と同様の痛みを訴える。 このようなアロディニアが臨床的に存在することを知っている医師はいない。
私は実際に、このような関節痛を神経根ブロックで完治させ、完治させることで位置覚を痛覚と感じ取るアロディニアがあることを認識し、これを関節アロディニアと定義した。
同様に、通常では耐えられる痛みもアロディニアが存在していると、耐えられない痛みに変わる。耐えられない痛みは「明らかにアロディニアが原因」で起こっているわけであるが、「通常では痛みを伴うことのないような刺激に対して痛みを感じる」という定義では、この耐えがたい痛みにアロディニアがあてはまらなくなる。「当てはまらないからアロディニアと言ってはいけない」と断言することは臨床的に真実ではない。よって、アロディニアの本当の定義は以下のようでなければならない。
「アロディニアとは通常では痛みを伴うことのないような刺激に対して痛みを感じると同時に、わずかな痛みが耐え難い痛みになることも含まれる」
アロディニアを「触刺激を痛みと感じる現象」と極めて狭義に解釈する学者がいることを知っているが、そんな狭義に分類することは臨床医学を無視しており、疼痛学の発展に有害であり同意できない。
アロディニアの概念を広げることで、これまで治らなかった関節痛を「神経根ブロックで治せる」ことを多くの医師に知らしめることができる。アロディニアを狭義に用いることはこうした治療を広めることの妨げになるのである。有害とはそういう意味である。文
脱中枢感作療法は簡単
私は中枢感作が原因と思われる様々な難治性の疾患を治してきた。しかし、行っていることは神技でも何でもない。ただただ感作されているであろう場所を推定し、そこに根気よくブロックし続けるというそれだけのことである。ただ、難しいのは「どこに?」「どれくらい?」「安全に」「痛くなく」ブロックできるか?である。逆にいえば、これができれば脱中枢感作療法が誰にでもできる。
私一人で治療できる患者数は限りがあるので、他の医師にそのガイドラインを伝授し、脱中枢感作ができる医師を全国に増やしていこうと思っている。
脱中枢感作療法で何ができるか?であるが、各種痛みを改善させるだけでなく、不眠・高血圧・精神疾患・めまい・難聴などを薬に頼らず完治させることができる可能性である。さらに認知症を改善させることができる可能性もある。そんなことができるのか?と思うかもしれないが、近いうちに全データをお見せして証拠を提示する。今も少しずつではあるが提示している。治せるか治せないか?のカギは治療回数と治療期間である。
治療期間と治療回数の個人差
もう一度、中枢感作にどういったものがあるか?を読み返してほしい。とりあえず上記8種類の中枢感作を列挙したが、実際にこれらの感作状態を治療するにあたって、どのくらいの期間を必要とするか?は8種それぞれである。たとえば、神経細胞が軸策発芽を起こし、痛覚増幅の回路ができあがってしまっている場合、そうした細胞レベルの新経路が「何日くらい治療すれば消退するのか?」について知っている医学者は世界に一人もいない。一度出来上がった神経回路は、治療を開始してすぐに消えるはずがない。よってもしこれらを治療できるとしても「全く効果がない期間」が存在する。回路が消えるまでの期間である。
患者は気が短いであろうから2~3度治療を受けてもあまり効果がなかったら、すぐにあきらめることが予想される。こうした患者を治せるか否か?は医師だけの責任ではなく、患者側に問題が多々ある。おそらく、中には「1年くらいかけなければ治らない中枢感作」があると思われる。
私は現在、自律神経失調症や難聴、不眠症などの根本治療を行っているが、週に1度の治療では、本当にごくわずかずつしか治らない。また、疼痛治療でさえ、治療に2年かかった人もいる。
疼痛治療の場合、患者は痛みを除去してもらいたいので、根気よく通院してくれるが、不眠症治療、難聴治療などでは通院のわずらわしさが先に立ってしまう。 ましてや痛い注射であれば患者の足は尚遠のく。待ち時間の長い診療でも遠のく。こうした治療とは別の社会的な影響が出てしまうのが脱中枢感作療法のネックとなる。
治療法確立のために日夜研究
こうした社会的な要因のために治療が中途半端に終わることを防ぐには、治療法の確立が望ましい。つまり、「この症状には何回の治療をどのくらいの回数必要なのか?」の結果が先にわかっていれば患者も辛抱して治療を受けてくれる。そのために症状別の治療経過報告が必要になる。現在、症例を集めつつ、報告書を作成中である。中枢感作はブラックボックス
中枢感作は脳と末梢の間で起こっている事件である。しかしながら現医学では神経根のDRGの仕組みでさえ完全に解明できていない。その中枢である脊髄の解明はさらにできていないし、さらに中枢の脳となると全く未知の世界に等しい。こうしたブラックボックスを解明するには数千年は必要であり、これらが原因の疾患は「不治の病」と扱われている。だが、解明できていないにしても治すことはできる。もちろん、多くの医学者は私のやっていることを否定したい心情にかられることは容易に察するが、そうした医学者も「病気にはなる」のである。私は、私を否定した医学者にも治療して差し上げる。自分で体験すれば嘘か真かはわかるだろう。解明できていないからといって否定してもしかたがない。治せるものは治す。ただそれでいいではないか。自分が病気になれば「解明されていないから治してほしくない」とは絶対に言わない。可能性があるものは前向きに検討すべきではないだろうか。別に手術して後遺症を残す危険性があるというわけではないのだから。