バカ娘再び

ためしに膝に1本、腰に1本だけ注射した患者とあのバカ娘が再び私のところにやって来た。私にとってはいつものパターンだ。というのも私がためしに行う何気ない注射でも、症状は消え去ることが多く、そのうま味で私のことを信用し始めるからだ。
「どうですか?膝の痛みと、歩いていると足がだるくなって休みたくなるという症状はどうなりましたか?」私はこのように具体的に答えられるように質問をする。 「だいぶ楽になったようです。」 具体的な質問に対してもこのようなあいまいな返事しか返ってこない。返事するのが面倒くさいのであろうか?
「そうですか…それでは今日は前回お話しした硬膜外ブロックについてはどうお考えですか?」 「はい、その件については弟たちと話し合いまして、危険だからしないということになりました。」 「なるほどわかりました。それじゃあこれからどうしたいですか?」 「手術したら治るんでしょうか?」
私はこのように手術に向かわせようとする親族たちが多いことをよく知っている。手術すれば高齢者の歩行機能が回復すると思いこんでいるのである。とにかく寝たきりの介護の役割が自分たちに巡ってくるのがいやなので本人が希望していなくても手術を受けさせようとする親族は多い。ただ、硬膜外ブロックが危険と言っている人たちが手術を選択するのは全く理屈に合わない。手術の危険性は硬膜外ブロックの何千倍も高いのだから。
彼らは危険だからブロックを受けさせたくないのではなく、ブロックの効果を知らないし、必要性も全く理解できないから断っているだけだと言うことがほとんどだ。先週ブロックについて懇切丁寧に話をして、その結果がこれだ。まさに馬の耳に念仏。頭に来ると言うよりもためいきしか出ない。
「はい、手術すれば膝の痛みはおそらく治りますよ。ですが何度も言いますが、歩いていると足がだるくなるのは膝とは全く関係ありませんからね。膝を手術したって良くなりませんよ。」 「どうしてですか?」 これも先週説明したのに…と思いながら…
「歩けないのは膝の痛みが原因ではなく、腰から来ている神経が不具合を起こしているから歩けなくなるんです。膝の手術は神経の不具合には何の役にも立ちません…。あっ、そんなことはないか…膝の手術をするとかなりの間、ベッド上で安静を強制させられるので、その結果神経が少しよくなるということはありますね。」 「手術じゃ治らないんですか?」 このようにこのバカ娘とは質問のやりとりができない。話が聞こえていないようだ。
「何度も言っているように、手術で膝の痛みはとれると言っているじゃないですか。何なら他の先生に聞いてみたらいかがですか? 他の先生は手術で治ると多分言うと思いますよ。膝の痛い患者に腰の診察なんて他の医者はたいていしませんからね。膝の痛みだけを診て、膝を注射すれば治るって言ってくれますから。」
これは半分以上いやみだが事実は私の言った通りだ。膝が痛いと訴える患者の神経根症状を見つけようとする医者はほとんどいない。医者さえも膝の痛みが歩けない原因だと思いこみ、膝を手術すれば歩けるようになると思っている。実際にこの患者は地元の先生にそう言われたのだから。
ところが私は診察するや否や、この患者の間歇性跛行の症状を見破った。だから膝の手術では跛行は治るはずがないと真実を忠告してあげたのだ。するとこのバカ娘は私に不信感を持ち始めたという話だ。 「私は先生に訊いているんです。先生は治せるんですか?」
ここまで失礼なバカ娘はとてもとてもマレな話だ。マレだからこそこうやって日記のネタにされているわけだ。私がこうして日記をつけていることなど知る由もないだろうが…。
「私は何度も言いますけど、他の医者が治せないものばかりを専門に治してきたとても珍しい医者なんです。ほとんどの 医者が治せないとしている腰部脊柱管狭窄症の患者を治してますよ。」 「先生の言う治せるってどういうことなんですか?治療すれば一生、症状が出なくなるんですね?」
「あなたねえ、私は魔法使いじゃありませんよ。患者は私が治しても再発させてやってくるんです。一生症状が出ないなんてまるでサイボーグの機械のような話があるはずがないでしょう。それに今まで他の医者が何もしてくれなかった症状を目の前の私が魔法のように一瞬で症状を消し去るなんてあなた信じますか?」 「先生は治せるんでしょう?」
「はい、私は治せますよ。だけど例えば拳で壁を殴って血を出した患者の傷を治しても、また壁を殴れば血が出るでしょう?あなたはそういう場合、傷を治したことに対して「治してない」ととりますか?」 「じゃあ、殴らなければ治るんですね。」 「もちろん治りますよ。ただ、高齢者は普通に生きているだけで神経を殴って傷つけちゃうんですよ。しりもちついただけで神経から出血するんですよ。」
「神経から出血するから歩けなくなるんですか?」 「出血もしますよ。神経の周りには血管がたくさん通ってますからね。というよりも神経が傷ついて腫れて炎症を起こすから神経の血行が悪くなって歩けなくなるんです。でもそんな講義を何時間もかけてここで話しているわけにはいかないでしょう? 第一私の言っていることは他の先生方とは意見が違うんだから、一度他の先生の意見を聞いてみたらどうですか?」 「どこが他の先生と違うんですか?」
「いいですか?例えば他の先生は寝たきりになるからそれを防ぐために歩け歩けと言うんです。だけど私は本当に治したいなら1週間寝たきりになりなさいって言うんです。医者が100人いたら99人は歩けと言います。私一人が歩くなと言います。私は実際に多くの患者を治してきている。だから治せない医者たちとは意見が違うんです。だから私の言うことは信じなくていいです。弟さんたちはとても正しく常識的な考え方だと思います。他の99人の医者たちと同じ意見なのですから。それでいいじゃないですか。私は世にも珍しい治す医者なんです。常識で医者にかかりたいのなら他の医者にかかったほうがいいですよ。例えばうちの院長もとても常識的な整形外科医ですから…。」 「先生は治せるんですか?」 本当に失礼な娘だ。
「治せるか?と質問するならやめなさい。治ることに挑戦するのが患者なんです。私は治すことに全力を尽くす。だけど患者が私を信用し、そして多少のリスクにも自分で選んだ道だから甘受するという意志があってはじめて大人というんです。」 「どのくらい治るんですか?」
「それは患者の生活態度と通院回数と、どんな治療を何回するか?中にどんな薬を入れるか?どこに薬を入れるか?によって人それぞれなんです。つまり治療には何百種類もあって、それぞれに治療効果が違うんです。何日間治ってますなんてことを断言できるはずないということがまだわかりませんか? 治療はその都度、患者の治り具合によって様々に変えて行くんですよ。そういうキャッチボールをして治って行くんですよ。」
このバカ娘は治せることの確約を私にとらせて、治せなかった時の責任を私に追わせたいのだろう。と思わせるほどいやらしい質問の仕方である。もちろんこんな患者は拒否したってかまわない。だが、今、私はこのようなバカ患者を本気で治療してこそ自分の診療技術を上げるチャンスと考えている。
本気で治そうとしている医者を目の前にしてここまで無礼な発言の数々をする患者を説得して治療することに尽力する。それが男気だと思っている。だから切れずに受け答えている。 「ですが先生、だったらどんな治療があってそれぞれどのくらいの治療効果があるのか教えてください。そうして先生のするブロックが患者を治せるのか私たちしろうとにもわかるように答えてください。」
「あのね、どうして治せるのか?なんて今でもわかってないの。わかっているなら他の医者でも治せるでしょう? それに私はあなたに説明する義務はないんですよ。私はあなたたちを医者として治そうとしているわけじゃないんだから。男気で治そうとしているんです。わかります?男気。」 「わかりません。それはどういう意味ですか?」
「普通に教科書通りに治療すれば治せないんです。医者として患者の質問に答えろというのなら、教科書通りにしか答えません。治すのは私の「困難に挑戦する」という男気であり、それは教科書を超えた、そして医者を超えたレベルの治療をしているということです。そこにはまだ原理も法則も確立されてないから説明しようにも説明できない。ましてやあなたがたしろうとにそれを説明したところでわかるはずないでしょう? それを教えろと私に命令をするのなら、私はあなたがたを単なる医者として教科書通りに治療するだけです。他の医者が治せなかった教科書通りにね。」 「でもどのくらい治るのかくらいは教えてください。」
「信用していない治療に対してどのくらい治るのか?という質問をするのはおかしくないですか?信じてないんでしょう? ただ、そこまでいうのなら一つだけ答えましょう。私はあくまで自分の中の基準として、治すとは症状が軽くなっている状態が1か月以上続いた状態であると定義しています。」 「じゃあ、1か月治るんですね。」
「だから何度も言うように、そこにたどりつくまでは過程があるんです。一度の治療で全部治るわけじゃないんですよ。そして人それぞれなんですって。」 「じゃあ、それぞれを教えてください。」
もうかれこれ20分以上話をしている。このバカ娘は診察室をガンとして動かない。 「あのね、これからあんたに言うこのセリフはあんたで二人目だから。私はね。患者が好きなんです。あなたも好きだし、他の患者も好きなんです。だけどね、診察室で長時間ねばっていると他の患者にものすごく迷惑なんです。他の患者に迷惑をかける患者は大嫌いなんです。」
「医者は患者の質問に答える義務があるでしょう?」 「義務なんかないですよ。何度も言いますが、私は男気であなたたちを診ている。医者として診るのならとっくに何も処置せず返してますからね。男気として診ている場合、あなた達に答える義務はない。わかりますか?」 「わかりません。」
「わかりました。ならば私も科学者のはしくれ。今、何の治療をすればどのくらいどう治るかのデータを作っています。そのデータができればしろうとにでも説明できるようになります。それまで3年くらいかかるのでその頃いらっしゃい。」 「…」
さすがにこれには返す言葉がなかったようだ。 「それから、私はね、あんたが大嫌いだけどね、あんたが助けてほしいと願うなら私は最後まであんたらを全力で治療する。それが男気っていうんだよ。わかったらいつでも来なさい。私は決して患者から逃げないから。ではおだいじに。」 こう言いながらも先週と同じ治療をして帰してやった。
ここまで医者に対して「患者は神様だ」みたいな態度をとる人は異常だ。そして治してやるという医者に不信感を抱くのも珍しい。まさに精神病である。病んでいる。いかれている。
私は外見が30代前半に見える。このバカ親子は恐らく外見で人を判断するタイプの人間なのだろう。私のような童顔の医者がここまで強い目力で堂々と「他の医者が治せないものを治せる」ということ自体が癇に触るのだろうと予測する。私が教授であったなら、こういうバカ者は逆にこんな無礼な物言いをせず、コメつきバッタのように頭を下げるのだろう。
ただ、いかれた患者をも助けるのはとても興味深いことだ。その興味に惹かれ私はこのような無理難題を言う患者を最後まで治療しようとする。どの道、他の医者には治せないから、この娘が本気で母親を治してあげたいのなら、弟の意見を無視してでも私のところに来るしかない。今日も日記のネタができた。ちなみに現在は治療成績や証拠を発表できるまでに資料がそろった。しかし、いくら資料をそろえたところで、人々は信用しないことを知った。まことに愚かなことである。