私は昨日の夜中、右手がしびれて目がさめた。覚めたときに自分の手のどこがしびれているのか考えた。小指・薬指・中指が強くしびれていて、親指が少ししびれていて、人差し指の半分がわずかにしびれていた。
そして眠い頭で自分の腕がどんな格好をしているのか記憶にとどめた。そのとき腕は右側臥位の状態で肘が曲がっていた。手首はほぼまっすぐだった。腕は体の下敷きにはなっていない。そんな状態だった。
さてこの状態こそが医学的な発見を生んだ。
みなさんは肘を曲げた状態で寝ていると肘の部分で尺骨神経が圧迫を受けて神経の血行が不良になり、しびれが出ることを知っているだろうか? そしてしびれで目が覚めるということをほとんどの人が何度か経験する。これは肘で一時的な尺骨神経麻痺が起こったからで、肘を伸ばして寝ると数分で元に戻る。別に珍しくもない。
ではこの珍しくもないことがなぜ大発見なのかというと…親指がしびれていたからだ。
今の医学の常識では尺骨神経が障害を受けて親指がしびれるなどありえない。世界中の医者がそう思っている。医学者ともなると「あり得ないこと」が起こると「親指のしびれは何らかの偶発的な出来事」とし、間違っても「医学の教科書の方がおかしいかもしれない」と考えない。
だから医者は親指がしびれていた場合、他の理由を意地でも見つけようとする。例えば「それは手首が曲がっていたせいで正中神経も麻痺していたんだ」とか「寝ている間だから手首が曲がっていても気づかないはずだ」とか「腕が下敷きになって血行不良が起こってて全体がしびれたんだ」とか、挙句の果てに「それは夢でしょう」と言われる。
医者にとって教科書に書かれてあることは絶対の事実となる。教科書が間違っていると考えることはタブーだからそのように難癖をつける。
私は眠い頭ではあったが親指がしびれている現状をしっかり振りかえった。人差し指はあまりしびれていないから手全体が血行不良に陥っていることはあり得ない。また、手首が強く曲がった状態であれば正中神経麻痺が起こるが、手首はそんなに曲げていなかった。もし正中神経麻痺なら人差し指のしびれは必ず強くなる。人差し指のしびれはわずかだったことから手首が曲がって正中神経が麻痺したことは否定的に思える。
ならば親指がなぜしびれていたのだろうか?これはあまりにも不思議なことである。尺骨神経の障害で親指がしびれるということがありうるのなら、これは医学界での世紀の大発見となる。
さて、教科書には手のしびれ(感覚異常)についてどう書かれているか?尺骨神経が障害されると小指と薬指がしびれると記載されていて中指、示指、母指はしびれないことになっている。
中指、示指がしびれるなら正中神経由来で、母指がしびれるなら橈骨神経由来となる。だから今回のように寝ている間に肘を曲げ、尺骨神経が麻痺して手全体がしびれると訴えると「頭がおかしい」と言われてとりあってもらえないのが普通だ。ただし私は医者であるから多少はとりあってもらえる。だからこうして日誌に書いている。そして私は教科書が間違っていると断言する。
というのも、教科書に記載されている感覚異常の図は皮膚の表面のしびれを意味していると思われるからだ。皮下や筋組織、骨膜のしびれを表していない。教科書に掲載されている尺骨神経の支配領域は「あくまで皮膚表面」の領域だと思われる。
なぜ「思われる」という言い方をするのかというと、感覚異常のエリアが書かれている図には「これは皮膚表面の感覚異常です」という断り文句が意図的に書かれていないからだ。意図的にであるからして医学書の全ての書物に「意図的に」この文句が省略されている。
なぜ意図的なのか?それは古くからの医学の掟だ。前の日誌にも書いたが、医学というものは文書に残したものは間違っていれば非難を浴びる。だから少しでも信用性が低いことは文書に残さないで適当にごまかすというやりかたが行われる。これは世界共通だ。
当然ながら感覚異常の図を描いた作者は「これは皮膚表面の感覚異常なのか?それとも筋肉や腱、骨膜などにも含めた感覚異常なのか?はっきりしない」と思っていたに違いない。ならばそういうことは「記載しなければいい」となる。
記載しなければ感覚異常の図は後世に「皮膚表面の異常」とは伝わらず、「指全体の感覚異常」と伝わるのが当たり前だ。なぜなら図は指全体がしびれている図として見えるからだ。わざわざ図を見てこれは皮膚表面の異常だと思って見る者などいない。
教科書というものはこのようにして間違いが世の中に伝えられていく。特に図示というものはやっかいで、図が美しければ美しいほど、学者たちはそれを事実として誤認する。だから絵の上手な医学者(教授)は世の中に多くの功罪を残したことになるのだ。ネッターという誰もが知っている医者である。
私は寝る前に皮膚表面の神経支配と皮膚の下にある組織(筋・腱・骨など)の神経支配は異なり、しびれは皮膚表面と皮膚の下にある組織のしびれとの複合した感覚であるはずだという考察をしていた。
だからしびれで目が覚めた時、「ほらやっぱり、尺骨神経麻痺でも親指側までしびれるんだ」ということを発見したわけだ。
つまりこういうことだ。手の中には骨間筋や虫様筋、母指内転筋など尺骨神経支配の筋肉が手全体に(母指側にも)存在する。だから尺骨神経がまひすれば手全体がしびれても何も不思議はないはずなのだ。
不思議ではないはずだが、「意図的に重要な文句を省略された図」のおかげで世界の医者が間違いを教わり、そのおかげで誰も「皮膚表面のしびれと、皮膚の下のしびれが異なる神経支配で起こる」という当たり前のことに気づかないのだろう。
本来ならば「これはあくまで皮膚表面の感覚異常です」と記載しなければならないはずだが、自分の業績を高く評価されたい学者たちは、そのような自分を小さく見せるような文句を書くはずがない。だから間違いが後世にずっと伝わっていくのだろう。
さて、私は朝起きたときに自分で肘の内側の尺骨神経の通る部分を強く押さえつけてみた。すると小指側がしびれた。もっと強く1分ほど押していると、今度は人差し指の甲側にしびれを感じた。そして親指の付け根にもわずかにしびれを感じた。
これで私が生き証人となった。教科書が間違っているという発見を尺骨神経を圧迫するという簡単なことで証明したわけだ。
この発見がこれからどう応用されていくか?そこが問題である。
これまで世界の医者たちは手全体、足全体にしびれを訴える患者に対して「そのしびれは末梢神経型の障害」だと決めつけていた。今もそうだ。末梢神経型のしびれは膠原病や糖尿病など全身病が原因で起こることが多い。だから「手全体がしびれる」と訴えた患者には「神経に対するまともな治療をしない」という悪しき習慣があった。
たとえば実際は椎間板ヘルニアで足先全体がしびれている患者がいたとして、医者がその患者に「足のどこがしびれますか?」との質問に対し「足全体です」と回答したら「このしびれは椎間板ヘルニアから来ているのではないから、治療は無理」と思われるわけだ。
私の今回の発見が世界に広まれば治療に対する考え方が変わる(もちろん広まるはずがないが)。
「椎間板ヘルニアでも足全体がしびれることがある」との認識で「そのしびれはヘルニアを治療することで改善できます」となるわけだ。医者の病気に対する治療の姿勢が出来上がる。
今まで治療を放棄されていた各種神経損傷は治療をしようという姿勢に変わる。そして世界中の多くの「見捨てられた患者」が助かるかもしれない。
ま、だがしかし、私は自分の理論が世に広まることに対して興味がない。出世にも興味がない。さらに言えば、教授でも何でもないヒラのならずもの医者が正論をほえたところで誰も耳を貸さない。せめてこれを読んでいただいた方々だけに広まってくれれば、少しは世間のお役にたてる。