私は病院の経営者とこんな会話をしたことがある。ここの経営者は医者の資格は持っていない。事務系の経営者である。彼は昼休みに私のところにやってきて様子をうかがう。
「先生がんばってますねえ。この調子でどんどん患者数を増やしていってくださると助かります」とにこにこしながら声をかけてきた
「もちろんがんばりますよ。ぼくは医者を仕事ではなく趣味でやってますからね。」
そう答えると経営者の表情は堅くなった
「先生、趣味では困ります。仕事をきっちりやってもらわないと。」
「……」
私は黙った。弁解しようと思ったが多分言ってもわかってもらえるはずもない…。
「ぼくは医者を趣味でやっている」この私のセリフが経営者を不機嫌にさせたことはいうまでもない。一般的には趣味=遊び。仕事を遊びながらするのはふざけているといいたいのだろう。
しかし、私にとっては「医者を趣味でやる」ということの意味は遊びでもふざけでもない。趣味でやるからこそ仕事以上に情熱を注ぎ、自分の利益がマイナスになってでも治療にあたる。そして給料以上に労働を奉仕するという意味だ。が、この経営者に私の意志は伝わらなかった。
たとえ患者に信頼され人気を上げ、来院患者数を急上昇さるという実績を示していても “ふざけている”と思われるのか…と思い少々がっかりした。
どんなつらい仕事でも、どんなつらい勉強でも、どんなにハードなスポーツでも、それらを楽しいと思いながらやった者はトップへと行く。逆に言おう。それらを楽しいと思わず、ノルマ仕事と思いながらやった者でトップをとった者は一人としていない。
仕事というものの概念は「何時から何時まで時間内は言われたとおりの作業をしなければならない」というもの。もちろん医者という公務員のような職場では上からの絶対命令に従うことが要求されていることはわかっている。しかし、命令通りに服従する仕事で患者を救えるかというとそうではない。
医者は患者を診察し、診断名をつけ、薬を出す、というのが外来業務の大半だが、実際は薬だけで治る患者はあまりいない。真実を言うと医者としての外来業務仕事をしていたのでは患者の痛みを取り除くことは出来ない。
もし、患者の痛みをできるだけ少ない治療回数であざやかに消し去るには仕事外の特別な治療、特別な思いやりという趣味の部分を施さなければならない。しかしそれは教科書にも保険医のマニュアルにも記載されていない“まごころ”の部分だ。
仕事ならどんな医者にでもできる。病院にとっては患者の痛みを1回の診療で完治させるよりも、何度も来させたほうが儲かる。医者を“仕事をする人”ととらえれば、患者をうまく説得して、何度も病院に来させるやぶ医者の方が“仕事のできる医者”ということになる。経営者はそういう医者のほうが病院経営のために健全だとそう思っているらしい。
しかし、私の考えは違う。患者を一度で治療する卓越した技術をサービスしたほうが患者の信頼を得て、いずれはその地域ナンバーワンの売り上げをはじき出せるようになるだろうと思っている。そして実際に私が外来をすれば病院は繁盛する。
患者を金づると考えるような医者仕事をしていると患者は医者に不信感を多大に抱くようになる。医者を仕事でやってはいけないと私は本気で思っている。医者は患者の痛みを取り除くことに初回から全力を尽くす。それをお金目当ての仕事でやるのではなく、患者を救うことを趣味として、そして自分の修業としてやるべきだと思っている。だからこそ患者に代金の何倍もの規格外のサービスができる。
しかし、ほとんどの医者が外来業務を仕事とわりきってやっている。楽しみながら外来業務をやっている医者はまずいない。理由は簡単だ。整形外来ではもともと患者を自分の力で完治させることが困難だからだ。外科医は手術で完治させるものと多くはそう思っている。
ここで言う“自分の力”というのは非常に重要なこと。薬を出して薬である程度症状をよくしても、それは薬が治したわけで自分の力で治したわけではない。だから外来業務には“やりがい”がないものだ。外科医ならば手術なら楽しみながらやるが、手術以外に興味を示そうとしない人が多い。
そして多くの医者は接客業に位置づけられる外来業務を腐りながらぶっつけ作業のようにしてこなす。だがら外来業務は楽しくなんかあるはずもないだろう。
しかし私は外来業務を楽しんでやっている。常に初回から全力で治療し、患者を治すたびに喜びを感じ、そして自分の腕が上がっていくことを感じる。これは仕事ではなく趣味としか例えようがない。
経営を仕事でやっているこの人に私の“趣味”の意味を理解してもらえるはずもなかった。残念だがこの病院では私は規格外のようだ。求められているものが違う。