私はとある東京下町の小さなクリニックの異端児医師。ここに勤めて4年目。だが、4年近くも同じところに勤務すれば初診の患者にでも私の意思が伝わりやすく治療もスムーズに行えるようになる。その理由は私のうわさが地域に広まっており、最初から患者が私のことを知っていて、初対面にかかわらず私の言葉を信頼してくれている場合が多いからだ。
私は初回の診察時から全力で治療を行い、初回で完治させようと常にする。そのため私は初対面の患者にいきなり大胆な治療を勧める。大胆と言っても命をとるわけではない。各種の注射をしますという意味だ。患者は自分の人生の貴重な時間をさいて医者にかかりにくる。だから一刻も早く社会復帰させてあげなければならない。薬だけで治る確率が低いとあきらかにわかる患者の場合、「まずは薬で様子を見ましょう」と言って薬の処方だけして診療を終われば、この患者は間違いなく来週もここへやってくる。
私はそんなふうにして患者を何度も病院に通わして利益を上げるなどという診療が大嫌いだ。そうしてそうやって何度も通院させる商業主義の医者たちを軽蔑している。だから最初から全力投球。それが私のやり方。それを可能にするために痛くない注射の方法を日夜開発してきた。しかし、私と全く初対面の患者は私がそういう医者だということを知らない。
とある腰痛の患者が外来にやってきた。
「さて、治療方法はいくらか選べますが…もっとも効果的に即効で治療したいなら注射することをお勧めします。」私はいつもこう切り出す。誓って言うが初対面の患者にいきなり注射治療を勧める医者はほとんどいない。もちろん、患者がよほどの重症の場合は別だが症状が軽いのにいきなり注射を持ち出さない。なぜなら注射は痛い。その痛さを我慢しても治療効果が抜群にあるのなら話は別だが、注射の効果には当たりハズレがあって毎回100%の確率で効くわけではない。無理やり注射をして痛い目にあわせて、それで効果がなければ恨まれるだけである。「どうしても注射をやってほしい」と患者自ら頼み込んでくるような場合(症状が強烈な場合)にしか整形外科医は注射をしないのが普通である。
ところが私は普通の整形外科医とは違う。注射の時の痛みをできるだけ感じさせない技術と、注射の効果が非常に高いという実績があるからだ。その自信があるからこそ、初回から注射に誘う。しかし今日ここにいる患者は私とは全くの初対面。いきなり注射といわれてハトが豆鉄砲をくらったような驚いた顔をしている。
「注射は一時しのぎですか?」注射に否定的な患者はこのように質問してくる。私は初回から全力を尽くすのが主義であるからこう答える。
「症状が軽いうちに注射をすればほとんどの人がたった1回の治療で完治します。それ以降痛くなることはないし私とも今日でおさらばです。」と。
しかしこの発言はおおげさに聞こえるだろう。数ヶ月も痛みをわずらっている患者にしてみればたった1度で完治なんて信じられるはずがない。患者の顔は「嘘つけ!この高慢医者」という顔をしている。そして次にはこういうセリフが来る。
「副作用はないのですか?」と。
そんな効果抜群の治療には重大な副作用があるものだと思っている。それはそうだろう、他の医者にかかってもそんな治療をしてもらったことなど一度もない。だから、もしもあるのなら副作用が大きいのではと考えるのは普通だ。だがそれは違う。実は私は普通のトリガーポイント注射と同じくらいの感覚で神経根の周囲に薬をまくという私独自の注射技術を持っている。これは副作用がほとんどないうえにすこぶるよく効く。
まあ、ほとんどの医者はそういう効果のある治療の腕があったとしても奥の手としてとっておき、もったいぶって初回からは出さないのが普通だろう。症状の軽い患者に奥の手を使うことは「行き過ぎ」にもなる。私の注射の場合、痛くない、安全、簡便なので行き過ぎにならない。
しかしこの患者の顔は不信感にみちあふれ、にもかかわらず自信に満ちた言い方をするものだから余計に嫌悪感が増し、私の鼻をへし折ってやろうと思っていることがありありとわかる。こうして私は無礼な患者にいつもなめられる。だが、私は説得に当たる。そのためには私自信が信頼できる医者であることをどこまで示せるかが問題となる。だから副作用のこともていねいに話す。ただ、どこまで言うか?が問題になる。
タクシーの運転手はお客が車に乗ろうとする時に
「車というものはどんなに安全運転していても、もらい事故があって怪我する危険がつきまといますよ。そして事故死の確率が10万回に1回くらいありますよ。」
とは説明しない。しかし今のセリフは事実である。水道局の人が水の元栓を開けるときに「これは飲料水として適していますが、若干の発癌物質が含まれていますので、長年飲んでいると癌になることは多少覚悟してくださいね」とは言わない。しかし水道水の発癌性も事実である。事実であっても言わない。
これと同じで医者が注射をするときに患者にどこまで副作用を説明するべきか?その境界線は非常に難しい。
例えば注射液によく用いるプロカインという表面麻酔剤は、それを注射して間もなくショックを起こし、運が悪ければ死に至る場合もある(実際に歯科医の麻酔で毎年数名は重大なショックを起こし、死亡したり死にかけたりという事故をおこしている)。それは患者の特異体質であり、街を歩いていて車にはねられて即死するよりも確率は低いが絶対に起こらないことではない。
つまり、歯科医での麻酔は街を歩くよりも安全なことなのだが、いちいちショックのことを最初から最後まで説明して注射の前に「死を覚悟してください」という歯科医者はいない。だいいち一般の人にショックの起こる原理を正しく説明することはとても難しい。
ただし今まで麻酔剤で異変が起こったことがないか?患者に訊ねることをすべきだとは言われている。
しかし、それもあまり意味がない。なぜなら、ショックを起こして死に至るような人はそういうものの使用経験も異変の体験もない人だからだ。あったら患者のほうから先に医者に告げるだろう。命にかかわることなのだから。
結局、ショックになったことがあるかないか?などたずねることは医者の保身の意味でしかなく、実際はあまり意味がない。おわかりかな?
注射の副作用を話せば一晩語り明かせるほどある。そしていちいちその確率はどのくらいで起こることなのかまで説明しなければきちんと説明したことになっていない。しかしその確率でさえいい加減である。なぜならば医者は副作用の研究をすることを極力いやがるものだからまともな数字が出ないからである。
水道水を飲んで癌になる確率を説明するくらい確率を説明することは難しく、一人の医者が一生かけて勉強しても説明の信ぴょう性を上げることすらできない。副作用を真摯に説明するとはそういうことを説明することなのだ。
そしておもしろいことに、副作用の説明では患者を「治療をあきらめさせる」方にも「治療をしたいと思わせる」方にも、言い方次第でいかようにもできる。だから副作用の解説にはそもそも信憑性がないともいえる。
知識が乏しい一般の人に副作用を説明する場合、どうにでも持っていけるという意味だ。この患者には治療するのをやめよう思えば副作用をおもいっきり恐ろしいように説明する。この患者は素直で信頼関係を築きやすいと思えば副作用を説明せず、「これで治りますよ」と簡単に言って注射を行う。
さらに、付け加えると副作用のことを全てきっちり把握している医者が多くない。
例えば、整形外科医がよく使うステロイドという炎症を抑えるホルモン剤だが、この薬には女性のメンスの周期を遅らせる副作用、さらに不正出血をおこさせる作用がある。これは目に見えてはっきりわかる副作用だが、ほとんどの医者がそのことを知らないし説明もできない。
しかし、女性にとって生理不順という副作用は本人にとっては精神不安定を起こさせるくらい極めて重大な副作用の一つだと思わないか?さらにステロイドには性欲減退や意欲低下の副作用も多少あるがこのこともほとんどの医者が知らない。一般的に医者が知っておくべきステロイドの副作用は血圧上昇、眼圧上昇、血糖値上昇、免疫力低下、血栓などがあるがそれさえ知らない整形外科医もいる。医者も知らないのだから医者に副作用を訊いても的確なものが返ってこないだろう。
さらにもっと笑える整形外科医特有の副作用の話がある。ステロイドには長期間使い続けると軟骨や靱帯が萎縮(細く弱くなる)したり、骨粗しょう症を起こしたりという副作用がある。しかしこの副作用は長期間連続投与の結果起こることで、数回使用で起こることはない。第一ステロイドは毎日自分の体から分泌されている。もしあったとすれば別の原因だろう。
にもかかわらず、整形外科医の中には「ステロイドを使うと骨がボロボロになりますよ。靱帯が切れやすくなりますよ。」といった言い方をする人がいる。こう素人に説明することは明らかに曲解している。
まあ、医者の説明する副作用にはこれほど意見の食い違いがあって患者を惑わすということだけを伝えておこう。だから副作用を訊いたほうがたいていお互いに戸惑うことになる。だから副作用を訊くことは治療を拒否することとイコールになることがあることをとりあえず知っておく。
さて、私は何度も言うように初回から治療に全力を尽くす。つまり軽症の人にこそ1度で完治する治療を施す。こういう場合はごくわずかの副作用も見過ごすわけにいかなくなるという原理がおわかりだろうか?
患者が軽症の場合、注射を刺すときの痛みでさえ、その患者にとっては「重大な副作用」になる。注射を刺した後の皮膚のチクチクが数時間続いても、それだけで医者を不信になる材料になる。
なにせ軽症なのだから副作用がゼロであることが前提として治療を受ける心構えになっている。注射後にむかつき、めまいなどが起これば「無理やり注射されて酷い目にあった」と悪いうわさをたてられることもある。ましてや万一、能書きに書いてあるような重大な副作用が出現すれば訴えられることもある。つまり軽症の人を治療することは医者がどんなささいな副作用に対しても重大な責任を負うことを意味している。
だから医者が軽症(手術を必要としない)の人を診察するとき、「副作用はないのですか?」と患者から質問されると、その患者には手厚い治療をするのはやめようという心理が働くことはたやすく理解できるだろう。医者の立場になると「ちょっとでも不都合があったら全部責任とってね」というセリフに聞こえてしまうわけだ。
軽症の患者にはささいな治療ミスも、ささいな副作用の出現も許されない。それが医者に多大なプレッシャーをかけ、おざなりの治療をさせてしまう原因の一つだ。ささいな副作用を説明するには大変骨が折れるのと、説明すれば患者を怖がらせ結局治療を拒否される。だから軽症患者には薬だけで様子を見て、信頼関係ができたら注射をするという方向にせざるを得ない。
しかし、私は違う。何度も言うが初回から全力治療(無理強いはしない)。
さて、話を元に戻そう。私のように軽症患者に積極的な治療(注射)を勧めると、次に患者が医者に質問するセリフも見えている。
「注射は痛いですか?」である。これは
「痛いなら注射は遠慮します」という意味をふくんでいる。
まあ、患者としてはこの質問は当然だろう。軽症であれば注射の痛みを我慢する覚悟はできない。
このように軽症の患者に初回から全力を尽くして治療することは、医者の立場からすると“あまりにも無謀な行為”ということが少しは呑み込めただろうか?
注射さえも“痛くさせてはいけない”そして“失敗は許されない”“副作用の全責任をとる”ことが必須条件とされるからだ。つまり軽症患者を手厚く治療することは「いかなるマイナスも許されない」という崖っぷちの状態に自らを追い込むことになる。
私は自分を崖っぷちに立たせることを趣味に生きている異端児。だからこそ副作用のこともていねいに解説し、その対処には最初から万全を期し、注射を痛くさせない技術を磨き、そして何より難易度の高い注射をミスしないこと、そして万一ミスしてもそれをカバーする特殊技術などを毎日修練している。
そして何より、患者をたった一度の治療で完治させた実績を重ねているからこそ、軽症患者にでも説得して全力で治療にあたることができている。こんな崖っぷちを毎日続けていれば、治療技術はどんどん上がる。上がるからこそさらなる軽症の患者でも完治させてゆける。
ペインクリニックなどで痛みに相当悩んでいる人にブロックを行うのはとても簡単なこと。しかし、それほど重症でない患者に対して1本の注射で治すことを約束して、初対面でブロックをすることは想像以上に困難を極める。
「副作用はないですか?痛くないですか?」と訊ねてくる患者には私なりの事実を述べて自信を持って答えている。
「注射をすれば多くの人がたった1回で完治します。確率で言えば一度で完治する人は病気が初期の場合5割です。注射も痛くありません。インフルエンザの予防接種よりも痛くありません。」と言う。
ただし、「副作用はないのですか?注射は痛くないですか?」と医者に質問すればほとんどの場合、医者は気分を害するということだけは覚えておいたほうがいい。医者にはこう聞こえている。
「副作用の責任はとってくださいね。効果がなかったら許しません。」
もちろん私は気分を害さない。患者からなめられることは趣味にしている。さらに質問される内容もはじめから予想がついている。
このように一通り副作用の話もし、注射の効果も実績を示し、最後に
「注射はどうなさいますか?」と質問する。
「やめておきます」
「わかりました。ではお薬と湿布を出しておきますね。」
これが落ちである。患者の気持ちは最優先するのが決まりである。特に軽症のうちは治療の選択権は全て患者にある。私の全力の治療はこの患者には空振りとなった。
空振り三振バッターアウト!