はじめに
ブロック注射は狭義では各種神経ブロックを指すが痛みをブロックするという広義では関節内注射、トリガーポイント注射、腱鞘内注射もまたブロックの一種であると言える。ブロックを行うには神経、血管、腱の走行や関節の位置を立体的にとらえた解剖学的知識を必要とするため、ペイン科か整形外科の医師が行うことが一般的である。しかしながらブロックは彼らの専売特許ではない。ある程度の知識を習得しコツさえつかめばどの科の医師にもできる手技である。特に開業して外来専門ドクターとなった医師には、科の壁を飛び越えて習得していただきたい技術の一つでもある。しかしながらブロック注射は想像以上に奥が深いもので、たやすく習得できるものではない。そこで、本章では初級から上級まで技術を向上させていくためのノウハウを順を追って説明していきたいと思う。
超高齢化を迎えるにあたって、痛みという苦痛に人生をむしばまれている高齢者たちを救うことができるブロックを身につけることができれば医師としてのやりがいが計りしれないほど大きくなることを保証する。多くの高齢者たちの人生を幸せに導くことができる。
ブロック治療の決定権は患者にある
まず最初に、もっとも大切なブロックの動機づけについて述べる。あまりにも当然だが、ブロックをしようという意志を常に持っていれば、ブロックをする機会が格段に増える。ペイン科では外来患者のほとんどにブロックを行っているが、その理由はブロックモチベーションがペイン科の医師は他科の医師よりも高いからである。ブロックモチベーションを高める要因は、経験であったり、技術であったり、実績だったりする。が、真にブロックモチベーションを左右する最大の因子は、実は医師の方にあるのではなく患者側にある。
患者が節にブロックを希望している場合、医師は「仕方ない、ブロックをやってやるか」と重い腰を上げてブロックに向かうことができる。患者にリスクを説明しても逃げない。失敗しても許してくれる。「費用が高い」と文句も言われない。いちいちブロックの内容を説明しなくても、患者自身がブロックの効果を熟知している。そしてブロックミス時の責任が軽くなる。などの理由が医師のブロックモチベーションを高めるのである。
情けない話であるが、そこに医の倫理、患者の最大幸福、患者への思いやりなどというものはほとんど介入する余地がない。つまりブロック治療は医師にとっては受け身であるというのが現状である。その決定権が医師にあるのではなく患者にあることが多い。ブロックは経口薬投与とは異なり、侵襲的手技であるから患者の理解を得ずに行って、患者に副作用や合併症などのデメリットを与えてしまえば、それは医師側が弱みを握られる要因となる。よってどんなに高い技術を持った百戦錬磨の医師でさえ、ブロックに否定的な患者にブロックをすすめることができないという制約がある。
ブロックミスの責任は施術者に全てある
外科医が癌患者に手術をすることを迫るのは比較的たやすい。なぜならそこには究極の選択があるからだ。手術をしなければ死を選ぶことになるといったような「患者が逃げることができない状態」がある。だから説得はたやすい。しかも、手術に失敗して一命を落としても、執刀医に全責任が及ぶことはまずない。よって手術の実行を患者に迫ることは医師側が比較的たやすく超えられるハードルである。しかし、ブロックを軽症の患者に勧める時には脅迫材料がない。それどころか、リスクを説明することが義務付けられている現在、患者に「ブロックをしいないほうがいい」とあきらめさせる機会のほうが圧倒的に多い。だからブロックを「その気のない患者」を口説いて受けさせることは女優を口説いてつきあうくらいに難しい。そのうえ口説いてブロックを受けさせた場合はブロックミスは許されない。成功か失敗かは効果のあるなしで客観的に判断されてしまい、ごまかしが効かない。よって場合によっては手術よりも責任が重い。その責任の重さゆえ、ブロックは1万円前後の手技料をとる。だが、それだけ手技料が高いのに医師たちが患者に気安く勧めないことがブロックがかなり重責である証である。
ブロック主導権を得るための情熱
ブロックを決定づける最大の動機は患者がそれを節に望むことであるということ。もしもブロック技術を飛躍的に伸ばしたいのであれば、受け身ではなく医師が能動的にブロックの主導権をとるほどに強い情熱を持たなければならない。だから究極のブロック技術を得るためには経験数よりも情熱のほうが重要といえる。ペイン科を訪問する患者は、そもそもブロックを望んで外来を受診しているためブロックの同意を得るのにインフォームドコンセントが問題になることが少ない。これがペイン科の医師がブロック件数を稼ぐことのできる理由である。ただしそこに情熱は必要ない。受け身でいい。受け身はリスクが軽いので追い込まれていない。よってペイン科では技術は上がっても診断力や繊細さ、リスクに対する厳重な管理力がどうしても甘くなってしまう。
整形外来では患者がブロックを要求してこない
一方、整形外科を訪れる外来患者はブロックをそもそも希望していないので医師のブロックモチベーションもかなり低いものとなる。よって整形外科というもっともブロック治療を必要とする患者が集まる科の医師は溢れんばかりの情熱がない限り、十分なブロック経験を積めないだろう。さて、私は一般的な整形外科医であるからして、患者はブロック治療を希望して外来を訪れない。「注射なんて痛いことをしなくても薬やリハビリで苦痛は取り除ける」と患者たちは本気でそういうオカルトを信じ切っている。だから注射を最初から希望してくる患者はゼロに等しい。希望してくるのは誰かに説得されて来院した場合か、昔に同様の注射を受けたことのある経験者の場合である。経験者はブロックが他のどの治療よりも効果が高いことを肉体的に知っているから最初からブロックを要求してくる。が、それは少数派である。
さらに、整形外科では再来を増やしてお金儲けをすることが開業医の主流なので、1回で効果を発揮してしまうブロックを初診時に行うことは経営を悪化させる。よってお金儲けのことを考えると初診患者にブロックは不利である。このような理由から整形外科ではブロックに対する情熱が生まれないという現状がある。
患者の最大幸福を願うブロック
しかしながら私の外来の90%(初診も含む)はブロックを行う患者である。なぜかそんなに多いのか? それは私のブロックモチベーションは患者に最大幸福を与えることを第一としているからである(患者に選ばせるのではなく治療主導権を私が握っている)。私は常にマグマのような激しい情熱で患者を治療しようとする。目の前にいる患者の苦痛を、どうすれば最速、最短かつ低料金で完全に治癒させることができるか?そしてブロック自体の苦痛やリスクを差し引いて、総合的に患者の将来に最大のメリットを与えてあげられるか? そこを考えて治療を選ぶことを第一のブロックモチベーションにしている。
患者がブロックを希望していなければメリットとリスクを説明して説得するだけのことである。おかげでペイン科の医師を超えた豊富な症例へのブロックを積み重ねていけるわけである。経験を重ねれば腕が上がる。腕が上がれば実績が出るのでさらに説得しやすくなる…と陽のサイクルが回るので私のブロック技術は日進月歩で向上し続ける(別に天狗になっているわけではない)。だから毎年新しい注射技術を生み出している。
ブロックの経験を積むには医師にモチベーションが要る
ブロックモチベーションは患者の意志に依存しているのが実情であるが、このモチベーションを医師が自ら作り出す情熱があれば、多くの患者を真に幸せにしてあげることができる。よって、目指すはブロックのイニシアチブを医師が持つことであるが、そうなるためには幾多の山を越えなければならない。実は非常に険しい道なのである。私が知る限り、ブロックのイニシアチブをとることのできる医師は日本には一人もいない。こう断言すると心外であると感じる名医が少しはいるとは思うが…ブロックの名医はそもそもブロックの専門外来で働いている。専門外来には「覚悟を決めた患者」しか来ないので、そもそものブロック選択のイニシアチブは患者側にあるのだ。
私はこれまでずっと、肩書きを付けずに、後輩もとらずに、専門外来も持たず、外来を地味にやってきたのは、「わざと患者になめられ、奢らないようにして精神を鍛えるため」だった。医師側がブロックのイニシアチブをとるには、想像を絶するほどのいろんな問題が山積みになっている。私はその山積みの問題を若い頃から一つ一つ解決してブロックを行ってきたから現在がある。
ブロックは開業・就職を超安定化させる
ブロックの知られざる莫大なメリットを述べることにする。まず最初に「私はブロックを自在にできるようになってから医師としての人生があまりにもハッピーになった」ということを述べておきたい。私は一般的な整形外科医の約3倍の保険点数を一日で稼ぎ出すことができる。ブロックの手技料は高い上に、患者数が多く、手技も恐ろしく速いからだ。3倍稼ぐというのは純利益という意味では6倍以上稼ぐことを意味している。なぜなら、私一人が3倍の保険点数を稼ぐ時、他の医師たち3人が同時に稼いだとしても人件費が3倍かかるので純利益は激減する。私一人で3倍稼げば、人件費が3分の1になるのと変わりない。よって私が稼ぐ純利益は他の医師たちを雇って稼いだ純利益の6倍くらいになるのである。つまり一人の医師が普通の外来医師6人分の純利益を稼ぐことができるわけである。
外来を主として経営している法人にとって私がどれほど貴重な稼ぎ頭となるか?想像にたやすい。よって常勤医が就職してきたとしても、パートで働いている私のクビが切られることはない。それほど私を雇う法人は私をキーマンとして扱わざるを得ない状態になるのである。これが就職を安定化させる。開業しても稼ぎの高い医師になれるから安定する。
また、ブロックの技術が高くなれば、他の医師が治せない疾患を多数治療できるようになるため、患者は遠方から集まってくる。よって開業場所がどんな過疎地でも激戦区でも無関係である。立地条件を無視できれば開業資金も想像を絶する低額で済んだりする。集客で苦戦するということがない。そういう恩恵を信じてブロックモチベーションを上げていってほしい。通常ブロック注射の腕は口伝てで周囲の住民に広まるため宣伝やマスコミへの露出は一切不要である。マスコミに露出すれば混雑で外来がパンクする。それほどブロックは多くの患者に必要とされている。
ただ、それほど有益なブロックなのに、それを習得できる医師がなぜ少ないか? 理由はそこに様々な問題があるからである。問題を面倒がらずに乗り越えていく熱意が必要になる。今後、医療界では不安定化が進み、医師とて裕福でいられない時代が来る。その時に生き残ることのできる競争力としてブロック技術は不可欠である。だから何としてでも、ブロックにまつわる様々な問題をクリアしていってほしい。
ブロックの上手い・下手
ブロックの上手い下手は各医師間で実は雲泥の差がある。私は自分のブロック技術のことを大道芸と称している。大道芸といえばあのジャグリングのようなものだと思っている。最初は二つのお手玉を片手でジャグリングし、それができるようになったら両手で三つ、四つとどんどん難易度を高めていき、常に今の自分の技を越えることを目標に練習する。「こんなこと、よくできるなあ」と思える技も、小さな技を積み重ねていくうちに普通に出来るようになり、それを長年続けると誰もできないような大技をたやすくこなせるようになっている。といった具合だ。ブロック技術はそれほど奥が深く、極めれば極めるほどその深さを知り、それでも極めていけば誰にもできない高尚な領域へと到達することができる。全ては積み重ねである。医学書に載っているやり方をまねれば誰にでもできるという代物ではない。大道芸であるからして、教わるものではなく「磨く」ものである。
大道芸人は技が上達するにつれて新しい技を編み出すが、ブロックも同じこと。新しい注射技術を次々とあみだしていけるものである。が、新ブロック法をあみだす医師がほとんどいないところを見ると、そこまでの境地に達するまでに己の技術に磨きをかける医師が少ないのだろうと思う。医師の世界では新しい技術を編み出すことは教授にしか許されていないという風潮があるが、各自が切磋琢磨していれば自ずと新しい技術が生まれるものだが…医師は現状のまま保守的でも収入が減らない。医師はそれほどぬるま湯に浸っているといえる。が、これからはそうはいかない時代が来る。
痛くないブロックの必要性
さて、ここでもっともイイタイことは、患者が「この先生はブロックが上手い」と感じる最大要因は「注射が痛くない」ことだということ。ブロックがよく効いたかどうかと、ブロックが痛いか痛くないか?に重点を置くのが患者である。とくに患者は痛くない注射を望んでいる。よって医師のあなたが患者から「ブロックが上手い」と認められるには全身全霊で痛くない注射の開発を行い、痛くさせない技術を特化させることだ。コストがかかり赤字となっても「痛くない注射」を優先させることを勧める。痛くない注射技術
痛くない注射をしよう!という方向に医師たちが技術を伸ばしていこうとする姿を私はあまり見たことがない。それよりも正確さ、安全さを優先するという大前提がある。正確さと安全性をないがしろにしてまで痛くない注射をする必要などないという官僚的な考え方が蔓延しているように思える。私はとにかく痛くない注射法を常に考えてきたが、その私の感想は「痛くない注射は自身を助ける」である。わが身を助けるだけでなく患者にとってもありがたい注射技術である。患者がかわいそうだから痛くないようにするのではなく、痛くなくできる技術こそ神技なのである。神技は、収得する気があれば身につけることができる。痛くない注射の方法を下にまとめた。
- 使用する注射針を可能な限り細くする
- 局所麻酔しな 1、使用する注射針を可能な限り細くするがら行う
- 針の刺入点から到達点までの距離を可能な限り短くする
- 障害物に針を当てない
- 到達地点を越えて深く刺さない
- 触圧覚を刺激して痛覚抑性効果を用いる
- お金儲け主義に走らない
1、使用する注射針を可能な限り細くする
注射には原則、27G針しか使わない。しかし27G針は扱いが難しいことは誰もが知っている。注入時の抵抗が高く、組織を通過した感触を察知しにくく、手間暇がかかる。さらに目的地に達した時の抵抗消失感も得られ難いので訓練しないと成功率が下がる。だが、何度も言う。ブロックは大道芸である。注射技術が上がったと感じた時に、自分に鞭を打って使用ゲージ数を1だけ上げる。それに慣れてきたら再び自分に鞭を打ってゲージ数を上げる。ということを繰り返していくと注射針を27Gにまで持っていくことができる。細い針の方がやりにくいに決まっているのだから、細い針にすることは自分の精神に鞭を打つことに他ならない。そういう心構えが必要である。2、局所麻酔しながら行う
局所麻酔をしながら針を進めれば患者は痛みの苦痛から免れる。しかし、2度注射するのはやっかいである。そこで私は注射する局所麻酔剤の量よりも少し多めの量を注射器に入れておき、局麻剤をまきながら針を5㎜ずつ進めていくという方法を推奨する。ただし、局麻剤は少ししみる。到達点が浅いのであれば、局麻剤をばらまいた方が痛みを増大させる。つまり、比較的浅い箇所への注射は局麻剤をばらまかず、ダイレクトに針を入れた方が痛くない(膝関節内注射など)。3、針の刺入点から到達点までの距離を可能な限り短くする
痛くない注射にもっとも重要な役割をするのは利き手ではない方の手である。右利きの場合、左手の指1本で注射刺入部を強く押し、皮下脂肪や筋肉、動脈、腱などの邪魔者をできるかぎり押しよける。そして押し作った窪地に針を進める。そうすることで正確さと安全性と痛くなさの三つを確保できる。しかしながらただ指で押せばいいと言うほど簡単なものでもない。私は注射の場所に合わせ3タイプの型を持っている。A:横ピース型
示、中指の2本で可能な限り指圧し、その中間点(赤点)を刺入点とする。腰、背中、肩甲帯など面積の広い部分での注射に適する。肥満の患者であっても、圧力をかければたいてい針は適度な深度まで達することができる。B:縦ピース型
腋窩や頚部など組織が柔らかく指一本の指圧で指が深部までのめりこむような場合、場所が狭くて二本の指が入るスペースがない場合、まずは示指1本で押しこみ、中指の背側を使って軽く押し支えるように添える。するとかなり深い箇所に刺入点を置くことができる。私は頚部神経根ブロックや頸椎ファセットブロックなどでこの型を多用している。C:OK型
手全体で組織をつかみながら注射する必要がある場合、母指を指圧に使用する。例えば膝関節内注射では膝蓋骨つかむようにした上で膝蓋大腿関節裂隙に針を進める。そうした時には母指での指圧が望ましいのでこの型を用いる。この時示指はOKサインのようなポジションとし、そこから示指を伸ばす方向に圧力をかけ、母指がのめりこみ過ぎるのを防ぐ。私はテニス肘の治療の際にも上腕骨外上顆をつかむようにしてこの図のように注射する。この型は慣れるのにやや訓練を要する。別にこの3つの型を真似る必要はない。しかし、実際に注射距離を短くしたいのなら、指は1本ではなく2本必要である。指1本の指圧は通常腰の神経根ブロックに用いる。腰は円筒型をしているので側方から横突起を圧迫するように指圧すると神経根部までの距離を短縮させることが可能となる。
4、障害物に針を当てない
神経根ブロックではロケーションを探るために横突起などに針を当てるのが定石となっている。もちろんその場合はそれでかまわないが、骨膜は非常に敏感に痛みを感じ取る組織であるという意識を持っておいた方がいい。しかも骨膜周辺には血管も密となっている。よって骨膜に針を当てると痛みと出血が起こりやすい。よってブロックの際は可能な限り骨膜に針を当てない方がいい。骨膜に針を当てなければ、患者はほとんど強い痛みを感じない。硬い組織に針が当たると、針先は顕微鏡レベルで曲がっている。その後針の切れが極端に悪くなり針を進めるのに強い抵抗を感じるようになる。よって硬い組織に当たったと思ったら、押すのではなく引く癖をつける。5、到達地点を越えて深く刺さない
例えば関節内注射で、針を深く進めすぎると骨・軟骨に針が刺さってこれらを損傷する。例えば硬膜外ブロックで深く針を進めすぎると、神経根を傷つけたりもする。その時患者は強い痛みを感じる。よって針の刺入は可能な限り浅くするのが原則である。針先が目標箇所へ到達した時は注射の注入圧がいきなり軽くなるなどの変化があるので、そうした変化を感じ取ろうと意識を注射器のシリンダーを押す手に向けておく必要がある。ここで問題になるのが、針先の到達感がない場合、どこまで針を進めるか?である。もしかすると、到達しているにもかかわらず針が深く入り過ぎて貫通してしまっているのではないか?と考えること。ある一定の長さを超えて深く刺すのは暴力的だという意識をしっかり持っておくべきである。
ただし思いやりを持ちすぎると、もうひと押しすれば到達できたというところで引き返してしまい、結局注射が不成功に終わることもある。そのボーダーラインは経験で身につける以外にないが、深度の感覚を身に着けるにはかなりの経験が必要になる。また、あと1㎜深く刺せば注入薬が行きわたるのに、手加減したせいで効果不十分ということも多々ある。
患者は血の通った人間であるから、痛みを感じさせないことを優先とさせるべきか?効果を優先させるべきか?は毎回異なる。よってその場の雰囲気に応じて、深く刺すのか浅くして逃げるのか?判断はあなたにゆだねられている。ただただ、どんな場合にでも患者の痛みを感じ取っておくべきであり、治療効果を最優先させる医師が優れた名医ではない。
6、触圧覚を刺激して痛覚抑性効果を用いる
注射時の左手の3つの型で紹介したが、これらは全て指圧を行うことを原則としている。指圧を加えることで皮膚を針が通る時の痛みをかなり軽減できる。もちろん到達距離も短くなりいいことずくめである。私の場合、時間があればさらに刺入点をマッサージして痛みを軽減させるという措置もとっている。キシロカインの貼付シールなどを利用するという方法もあるが、指圧法で十分であり、また、指圧法では皮下や筋を貫通する際の痛みまで軽減できる。キシロカインでは深部の痛みを軽減できない。まあ、シールも併用することは悪いことではない。私は今では指圧しないで注射をすること自体が考えられない。それほど指圧はメリットだらけである。7、お金儲け主義に走らない
実はブロックは大変高率のよいお金儲けになる。特に神経根ブロックは慣れれば10分弱で行え、保険点数も1400点もある。1日に10人行えば、それだけで結構な黒字になる。ただし、透視下に造影剤を使って神経根をしっかり同定することが条件になっている。これを実行するには神経根に針先を当てて造影剤を流し込まなければならない。その際患者は強い苦痛を感じ、神経根をも傷つけるため連続3回が限度と言われる。つまり、1400点という大金をせしめたいのなら患者に苦痛や傷を与えることが条件となっているわけだ。だからこその1400点なのだが…、お金儲けを優先させると患者に苦痛を与えることの罪悪感が低下してしまうのである。ここでいいたいことは、保険点数が高い手技は患者に与えるリスクも高いということ。もうけ主義に走れば、リスクの高い注射を患者に行いたくなるが、それを医師の良心で抑え込んでほしいということである。
例えば、仙骨部硬膜外ブロックがもっとも効果的と思われる時に、点数が高い腰部硬膜外ブロックを行うべきではない。点数を優先させて手技を決めることを恥と考える癖をつけてほしい。例えば腰椎麻酔で十分手術ができるが、お金を儲けるために全身麻酔で手術を行うのは言語道断である。だが、実際には言語道断なことが日常的に行われている。お金儲けのために患者に与えるリスクは無視されている。そういうことをしているといずれ自分の手で首を絞めることになる。
ブロックの成功率を飛躍的に伸ばす方法
ブロック技術の上達には欠かせないのが成功率の向上であることは言うまでもない。私が初めて腰部硬膜外ブロックを先輩から習った時は、5人に1人の割合でタップ(硬膜を突き破ってしまい、脊髄麻酔になってしまうこと)した。しかも当時は若くてブロックが入りやすい患者に対してなのにこの割合だ。今では1000人に1人もタップしない。しかも超難度の超高齢者を相手にしてこの数字である。技術は訓練で上達する。さて、問題はタップするかしないかではなく、成功するかしないか?つまり薬剤が狙った部位に届き、ブロック効果をしっかり発揮するかしないか?である。実は成功させるのはたやすくない。なぜなら成功には次の条件があるからだ。- 狙った神経が病態の主座であること
- 薬剤が狙った箇所に大半が入ってくれること
- 狙い過ぎて組織を損傷しないこと
- 副作用が強く出すぎないこと
1、狙った神経が病態の主座であること
実はこれがもっとも難しい。ここで解説すると長くなるので省略するが、痛みの仕組みは慢性期になると複雑化し、1箇所ブロックすればよい問題ではなくなってくる。様々な痛みが複合化するのでそれらをしらみつぶしにブロックして初めて効果が出る(痛みのシステムは現医学でまだまだ解明できていない)。さらに私は腰仙部の神経根にナンバーリングできない症例(移行椎のため)が少なくないことを発見した(例えば後仙骨孔が5対ある例、腰椎が6つある例など)。よって神経根の高位決定は全員に通用しないことがわかった。医学書通りの一様なブロックで慢性疼痛患者は救えないことを認識した方がいい。対処法は後述する。2、薬剤が狙った箇所に大半が入ってくれること
これは特に腰部硬膜外ブロックでの注意点である。高齢者の黄色靭帯は太さが10㎜近くになり硬膜管があまりに細く、スイートスポットがとても狭い。おまけに脊椎が側弯やねじれ変形を起こしているから針先が硬膜外腔にきちんと到達するのは至難の技なのである。さらに硬膜外腔は陰圧というのは高齢者には通用せず(癒着も存在する)、懸濁法や抵抗消失法も通用しにくい。その中で注入した薬液が周囲にもれていることを常に頭に入れておく必要がある。場合によっては他椎間を狙う。そして最後にブロックが静脈注射になってしまっている可能性を常に考えておく。対処法は硬膜外ブロックのところに別記する。3、狙い過ぎて組織を損傷しないこと
太い針で何度か刺し直しをすると必ず周囲の血管や神経を損傷する。たとえブロックは成功したとしてもこれが後にしばらく消えない後遺症を残すことになることがある。その場合、患者はブロック成功と感じない。これを防ぐためには可能な限り細い針を用いるべきである(私は25Gより太い針は用いない。通常用いるのは27G)。4、副作用が強く出すぎないこと
最後に薬液量は副作用の出ない範囲、リスクを考慮しながら最大量を用いるのが理想である。硬膜外腔に薬を入れていても、神経根ブロック中でも患者は酔っぱらったような感覚になることも、血圧低下で意識レベルが低下することもある。これはブロック失敗とは違うが、患者を怖がらせ精神的にトラウマを負わせることになる。ブロックを10回、20回と行わなければ改善しない患者の場合、このようなトラウマが原因で治療を拒否するようなことになれば、全体的を通してこのブロック治療は失敗と言ってよい。よって繰り返しの治療が必要な患者では術中の患者の容態を必死に観察し、少しでも苦痛を与えていないか、常に訊ねながら注射を行うべきである。ではここでこれらの失敗をなくし、成功率を飛躍的に伸ばす方法を端的に述べる。それは・・・「成功するまで何度も何箇所も行う」このヒトコトに尽きる! ではこのヒトコトについて具体的に解説する。
成功するまで何度も何箇所も行う
おそらく、私は世界中のペイン科の医者たちと比べてもブロック成功率は誰にも負けない。そう断言できる理由は「成功するまでその場で繰り返す」からである。ブロックを行った後に患者にその効果を訊き出し、そしてあまり効果がないようなら「今のブロックは失敗でしたので、もう一度やらせてください」と土下座するのである。つまり土下座自慢である(笑)。患者は少し効いていれば成功だと思っている。だが事実は違う。ブロックが成功すれば、効果は少しではなく大きいはずである。だから「自分のブロックは失敗でした」とカミングアウトし、リトライを許してもらう。誰だって2度もブロックするのはいやに決まっているので、大切なことは注射が痛くないことなのである。しかし、カミングアウトをするのは簡単ではない。第一にプライドが許さない。第二に患者に弱みを握られる。第三に評判が悪くなる。
私は自分のプライドは「糞くらえ!」と思っているので、不成功をそのままにはしておかない。手間が2倍かかり材料費が2倍かかり、外来も大混雑する。そして看護師と患者に横目で「このへたくそ!」と思われようが、そんなことはおかまいなしで2度目のブロックを土下座して頼みこむ。私はプライドが高くないと言ってるのではなく、修行のために糞を食らわせようとしているだけである。
もしも2度目も失敗したら、今度は3度目をさらに低姿勢でお願いする。3度目も失敗することもある。そのときは別の代替え療法を考える。私はそこまでしてでも必ず患者を治すという鉄の意志を持っている。そこまで徹底できる精神があるからこそ、ブロック成功率がトップクラスであると公言できるのである。
しかしながら土下座すれば患者がリトライを承諾してくれるか?といえばそうではない。初診の患者に「ブロックが失敗したのでもう一度やり直させてください」と頼み込めば、医師のプライドが傷つくだけでは済まされない。「なんだ?!このヤブ医者!」と思われるだけでなく、それが医師不信の火種となって悪評が広がる。よって初診の患者の場合、失敗はほぼ許されない。リトライの場合は同じブロックをするのではなく、別のやり方、別のアプローチで「もう1本無料サービス」というような感じで気を使いながら行うというような工夫まで必要となる。
ブロック達人級の医師は私よりも初回の成功率は多少高いであろう。だが総合的に見て患者を治せるか?という段階では、私の方が上を行く。その理由は1にも2にも患者の最大幸福を優先させる医療をすることに徹しているからである。自分のプライド、評判、名声、採算、面倒くささ、などは二の次にしているおかげである。必要なのは技よりも情熱である。
非を認めることから上達が始まる
自分の治療の非を認めないことが、医師の世界ではトレンドのようだ。非を認めたらおしまい、とそう思っている鼻息荒い医師は世界中に五万といる。だが、「非を認めたら終わり」というのはあながち嘘ではない。たとえば東大卒の人が「おれってバカだよなあ」と言えば、向上心の高い人だというよい印象を受ける。しかし教養のない人が「おれってバカだから…」と言えば、沈黙に包まれ場が凍る。その通りなので肯定もできず、否定もできないからだ。同様のことがブロックの不成功の時にも起こり得る。ブロック技術がまだ未熟なうちに「今回のブロックは失敗したのでやり直しさせてください」と言えば、患者の怒りを買う。「ふざけるな!おれはモルモットじゃない!」と反論されて悪評が立つ。
よって「ブロックが失敗しているのでやり直しさせてください」というセリフを言えるのはよほどブロックに自信がある場合のみなのである。だからこそ、ブロックが未熟なうちは、本当にブロックが効いたか効いてないか?患者に聞き取り調査をすることをしない医師がほとんどである。事実を知らない方が心が痛まないからである。しかし、それではいつまでたっても上達しない。悪循環だ。
初めから「失敗だからリトライさせてほしい」と頼むのではなく、ブロックを行った後、どのくらい効果があったのか?をカルテに記載していくことが「非を認めること」の開始地点である。初心者マークの医師にはリトライは時間的にも外来では無理なのである。
ブロックリトライの条件
ブロックをリトライできるようになれば、世界のブロックの名医にも勝るブロック成功率を得られるようになるだろう(名医はプライドが高過ぎてリトライなどできないから)。だがリトライは実はハードルが想像以上に高い。だから、最初からリトライを目指すのではなく、まずは非を認めた内容(失敗の事実と反省点)をカルテに記載していくことから始めることが重要である(私は常に書き残している)。以下にリトライの条件を挙げる。- 患者との信頼関係が築けていること
- 患者が初診であるなら、患者を一瞬で説得させられる話術・心理戦術が必要
- 普段から高い成功率と実績を積んでいること
- 痛くないブロック注射ができること
- 合併症・副作用を最小限にできる技術と注意力があること
- プライドを捨てられること
- 絶対に手を抜かないこと
- 手技が超短時間で行えること
この8つ項目のうちひとつでも満たせないものがあればリトライは難しい。中でも患者側に立ってもっとも大きな壁としてたちはだかるのが4の項目である。患者は痛いブロックを2度以上させてくれるほど寛容ではない。よって痛くさせない技術を習得してはじめてリトライが可能になるということを覚えておいていただきたい。また、密かに重要なのが8の手技のスピードである。リトライすれば外来が混雑してしまい多くの患者に迷惑をかける。よって手技が速いことは必須条件である。
急がば回れの医療革命
人間はとても経済性を重要視する生き物である。よって能力の高い者ほど「最小限の治療で最大の効果を挙げよう」と考える。よって、痛みがあれば痛みの主座となる神経を同定し、その神経1本に狙いを定めてブロックをするのが定番である。だが、慢性の疼痛では2つ3つの原因が重なっている場合が多々ある。1本狙いでは十分何治療効果が得られないのが現実である。だが、その現実とは裏腹に現保険医療では1日のうちに2箇所以上にブロックすることが認められていない。認められていないからやらない…では患者は治らない。2箇所目以降は保険外治療ということになる。私はどうしているか…2箇所目以降は全て無料サービスしている。無料サービスすれば保険上はクリアだ。ただし、経営者には叱責を買う。クビになりたくなければ、普段から他の医師の倍以上の保険点数を稼いでおくことだ。そうすれば多少患者に無料サービスしても何も言われない。
ただし、無料サービスをやってみるとわかるが、これは結構プライドが傷つく作業になる。患者は無料サービスされて当たり前という顔をして次回からも無料サービスを平気で懇願し、医師に甘えてくるばかりで感謝もしない。こちらが様々なリスクに片足つっこんでやっていることを患者は知らない…それでも無料サービスを行い続けるには奉仕する覚悟が必要になる。それに耐えうるプライドつぶし(精神鍛錬)を普段からやっている人にしかなかなかできないものだ。
私は、最初は患者に「保険外の無料サービス注射を行っているんですよ」と患者に恩を着せていたが、それは治療の妨げになることを知った。患者自身が引け目を感じ、断わってくることもあるからだ。患者の最大幸福を考えた場合、なにも言わずに淡々と無料サービスしたほうが治療率が上がる。
例えば、私は腰部硬膜外ブロック、仙骨硬膜外ブロック、複数の神経根ブロックの同時治療を1度で行い、800点しか請求しない。それでどう変わったか? 並の医者では治せない、手術を何度してもよくならなかった病態を治せるようになるのだ。
どの神経根が主座か?判断が難しければ、3カ所ブロックすれば必ずどれかが当たる。癒着で薬が入っていかないのなら、末梢から入れてしまう。このようにシラミ潰しにブロックを行えば、ブロックの名医よりも圧倒的に成功率が高くなる。さらに、万一ミスをすればリトライする。これで完璧だ。
しかしながら難しいのは、複数個所の神経根ブロックを患者が許容するか?ということ。いやしない。従来のような「痛い神経根ブロック」であるなら患者が拒否する。複数箇所のブロックは「注射が全く痛くない」こと、注射が非侵襲的であることが原則になっている。痛くない&愛護的注射が出来ない限り不可能である。
患者を早く完治させてあげたいのなら、1本狙いではなく、痛くない注射で狙った前後を含め数箇所同時治療の方が効果が高い。そういうことをやって損をするのは医師の方だけであって、患者は幸せである。そこを割り切って覚悟できれば、あなたもブロックの名医の仲間入りだ。急がば回れである。
また、同様に保険では週に1度のブロックしか認めていない。硬膜外ブロックを1週間に2度はできない。だが私は違う。硬膜外ブロックを2度行い、2度目を保険請求しない。真似をすることは勧めないが、患者の最大幸福を優先させるなら週に2~3度行わなければならないときもあるかと思う。その時にためらわず行ってあげることだ。今の保険では治せない病態は山積みである。だが保険外治療なら治る病態も山積みなのだ。
私は最初から述べている。私のブロック成功率はトップクラスであると。その理由は完全なる拝金主義の排除と、患者の最大幸福優先のために奉仕するというところにある。つまり、正義感と情熱と奉仕がトップクラスということである。技術的に難しいことを述べているわけではない。精神的に難しいことを述べているだけである。つまり、精神を鍛えれば、誰だって世界有数の名医になれるのである。高い成功率で早く患者を治癒させたいのなら、上手な鉄砲を数撃つことである。何度も言うが、そのためには痛くない注射ができて、リスクと合併症を最小限にできる技術が必要になる。数撃てば、リスクや合併症の確率も上がるのだから。
ブロック無効の非は常に己にある
鼻柱の強い、一流国立大学卒の教授ともなると、自分の非は認めないという確固たる習慣が身に付いてしまっているものである。自ら教科書を書きおろし、「自分の作った定義に一致しない患者は精神異常」と断定し、治療を放棄することも日常的である。私は別にそういう冷血な彼らを否定しない。我が道を行くことを極めたからこそ、教授になれたのだと思うし、そこからプライドを切り崩す必要などなかろう。教授の後ろ姿は決して美しくはないが、それなりに医師の規範を示す役割は担っていると思う。
だが、外来ドクターがそうであっては失格である。診断定義に一致しない患者を「精神疾患」と断定して、治療の効果がないことを患者のせいにしてしまっては終わっている。ブロックが無効である理由は、「精神疾患」ではなく、以下のようなものがある。
- 超急性期のため、痛みの発現をブロックで抑えきれない
- 慢性期のため、痛みのシステムが複数作動している
- 治療で改善させる割合より仕事などで悪化させる割合の方が高い
- 癒着・狭窄などの物理的要因がブロックでは改善できないところまで悪化している
- 原因を根絶させておらず、対症療法になってしまっている
- 他に全く異なった病態がある
- 癒着、変形などの理由で薬液がどうしても狙った箇所に届かない
- そもそもブロックがミスであった
- 現医学で理解し難い中枢性過敏
私は患者に施行したブロックが無効だった場合、最低でもこの9つを考え、そのどれにあてはまるのかを考察することを絶対に省かないようにしている。たとえ、患者が現在統合失調症で精神科に通院中であっても、そんなこととは無関係にこれらをきちんと考察する癖をつけている。また、ブロックの副作用(リバウンド現象や合併症)で痛みが悪化していることも必ず視野に入れている。
つまり、患者に「無効」と言われた場合、自分の医師としての非を徹底的に探そうとする。間違ってもお偉い教授たちのように患者のせい・歳のせい・精神異常のせいにはしない。とにかく真実を診ようとする。
ここで大切なことは、常に頭を働かせよということ。頭を働かせていれば、上の1から9の項目のどれにあてはまるのかが理解できるようになり病態の真実が見えるようになる。こればかりは世界中の医学書を全て読みあさって真実が見えるものではない。常に己の非を省みて、何が原因で効かなかったのかを考察する。プライドの高い未熟な人間にはできないが、外来ドクターがそうであってはいけない。この9つのうち、もっとも多いのがダントツで8である。私のようにリトライを何度も行う者であっても8がもっとも多い。だから、確率的に、効かなかった時は第一に自分のミスだと考えておけば間違いが少ない。
考え方一つで治療成功率が極めて上がる
逆に上で述べた1~9をクリアしていくことでブロック技術が究極を越えられるということがわかるだろう。道は遠く険しいが、目標地点であることに変わりがない。1、超急性期のため、痛みの発現をブロックで抑えきれない
今まさに炎症性物質や疼痛メディエーターが増加している最中では、ブロックを行っても痛みのピークの山の高さを抑えることはできても、痛みのピークが半日から1日先に来ることを消し去ることはできない。これは日光の熱照射時間がもっとも長い時期と最高気温時期が一致しないのと同じ原理である。夏至の日よりも2カ月先に最高気温時期がやってくる。夏至の時期に曇りや雨の日がたくさんあり、照射を遮れば、2ヶ月後の最高気温は下がる。しかし、それでも2ヶ月後に最高気温の時期が来ることを避けることはできない。この当たり前の原理は医学の教科書には掲載されていない。
同じことがブロック治療にも言える。痛みが加速している時期にブロックを行えば、やがて来るピークの痛みをある程度抑えることができるが、ピーク自体をなくすことはできない。すると、ブロックを受けた患者は「ブロックしても翌日さらに痛くなった」と医師に訴えることになる。「ブロックを受けなかったら、痛みはもっと激烈であった」ことなど患者は知るよしもない。
現、整形外科学の教科書にはブロック後、痛みの抑性が24時間以上続かない場合、ブロックでは治療困難であると書かれている。この内容を真に受けた医師は患者から「半日もしないうちに痛みが元に戻って、翌日はさらに痛くなった」と言われれば、「ブロック治療がこの患者には効かない」と思い込み、治療をあきらめてしまう。これではブロック成功率低下、自信喪失、ブロック機会の減少、と悪循環を招く。
はっきり宣言しておく。ブロックは繰り返せばこれまで難治とされていた疾患でもかなり高率に改善できる。教科書に惑わされてはいけない。超急性期の患者には、効果は時間差で発揮されることをムンテラしておけば最高に良い。
2、慢性期のため、痛みのシステムが複数作動している
慢性期の痛みのシステムについて完璧な知識を持つものは医学・薬学の全てを併せても一人も存在しない。それほど複雑であるが、複雑であることを知らない医師も多い。アメリカではその複雑なシステムの解明にやっきになり、次々と新仮説を唱えている…が、それが治療に役立っていない。痛みは、最初は1箇所が原因で起こっていたとしても、慢性化するとあらゆるささいな痛みが共鳴し合って、複数の経路を使って脳に痛み信号が送られる仕組みになっている。例えば膝が痛い患者の膝痛の原因が、脊椎にあったり、交感神経にあったりするのである。よって私は膝痛の患者に腰部硬膜外ブロックを併用したり、五十肩の症例に頚部神経根ブロックを併用したりすることがしばしばある。しばしばというのは1割や2割の話ではない。4割強の併用率である。こういう奇抜な治療ができるのは、全て「痛くない注射」技術のおかげである。
そして、実際に膝の痛みは膝への関節内注射のみでは完治しない。神経ブロックを併用してはじめて完治する(症例報告を参考)。慢性期の痛みは単純ではないのである。四肢の関節の痛みを訴える患者では常に脊髄や神経根由来の神経痛がオーバーラップしていることを念頭に入れておかなければならない。
ただし、関節痛と神経痛のオーバーラップを見抜くことはたいへん難しい。唯一原因を推定できるのは、関節内注射単独、神経ブロック単独、両者の併用、と3つを試し、治療効果を比較検討することである。だが、関節が痛いと訴えている患者に神経ブロックを勧めるには、かなりのムンテラ力が必要になる。それに加え、治療実績がない者には自信を持って患者にブロックを勧めることなどできないであろう。よってこのような同時治療はかなりブロック技術が向上してからでないと不可能である。だが保証する。同時治療ができるレベルになれば、他の整形外科やペイン科の医師が治せない疾患を次々と治せるレベルになっている。よって目指す価値は十分ある。
3、治療で改善させる割合より仕事などで悪化させる割合の方が高い
働き盛りの年代では思ったように治療効果が出ないことに多々遭遇する。それはブロックが効かないからではないというところに考察を持っていくことが必要である。組織の修復をうながすブロック治療よりも、組織の炎症を増加させるストレスの方が大きいのである。よってブロックを行って2~3日改善し、週末にはまた悪化させてブロックにやってくるということを繰り返す。おもしろいことに1年でも2年でも繰り返す。私のように痛くない注射ができるようになると、患者はまるでマッサージを受けにくるかのごとく私のブロックを受けに毎週通院するようになり、そして現状が改善しないまま月日が過ぎることになる。まさに患者は私に甘えるだけ甘えるのである。おそらく、この手の患者はもっとも難治性で自分の肉体が壊滅的になるまで仕事を辞めることもない。休養を取るように説得しても無駄に終わる。彼らを「仕事をしながら、改善させること」ができば、一流のブロックドクターと言える。だが現実はとても厳しい。彼らに対しては以下のような治療を行ってきた。
- 一週間休養をとるか、さもなくば私と縁を切るか?の選択をさせる。
- 延々と同じ治療を行う。治す治療ではなく現状維持の治療と割り切る。
- 通院回数とブロック数を増やし徹底的に治療を強化し寛解導入→その後2へ。
1~3の治療法は私の治療年表でもある。つまり、昔は1を行い、休養をとらせて治した。次に完治をあきらめ仕事を優先させる治療とした。そして現在、保険外のブロックを無料でサービスし、可能な限り数打って力ずくで治療し、ある程度良くした状態で、それを維持させる治療をしている。
これらを通して、難治性の手術不可避の労働者を、ブロック療法のみでほぼ改善させる技術を身に付けた(ただし、時間はかかるが)。何がイイタイか? それは「ブロックで治らない患者などほぼいない」ということ(外科医は信じないと思うが)。脊椎の様々な手術が、本当に必要かどうかは要検討である。
敢えて言うならば、現在の保険制度が認めるブロック治療では、治らない患者が山ほどできてしまう。だが、保険外治療を用いて強力にブロックを続ければ、たいてい軽快する。脊椎外科医には誠に失礼な言い方ではあるが、ブロックの技術を究極まで高めようとする外来ドクターが各地に広がれば、脊椎手術の件数は相当減るだろう。
4、癒着・狭窄などの物理的要因がブロックでは改善できないところまで悪化している
ここでしっかり認識していてほしいことが一つだけある。ブロック治療はあきらめずに多数回、多数箇所、多種類同時に行えば、どんなに重症な病態であっても大部分を改善させることができる。ブロックで(保存的に)改善できるかできないかのボーダーラインは、外科医が想像しているよりもはるかに奥深い。つまり、脊髄症やが側型ヘルニアを除くほとんどの脊椎疾患はブロックで改善できる。しかしながらお手上げの状態もある。私の経験上、そういったお手上げ状態の患者はブロックが必要な患者千人に一人くらいは存在する。ここではそういう患者に悲観的になれと言っているわけではない。むしろその逆である。ブロック無効の患者なんて千人に一人くらいしかいないのだから、ブロック無効の患者に何人も出会うようなら、それは無効なのではなく、自分の未熟さだと知るべきだと述べている。
5、原因を根絶させておらず、対症療法になってしまっている
ある程度、いろんな患者をブロックで治療できるようになると、医師は天狗になりはじめる。ペイン科の医師などは、それなりに腕も立ち患者からも信頼され、何でもできるように感じ始める。しかしそこに落とし穴がある。ブロックというものは本当に炎症を起こしている神経の隣の神経に注射をしても効いてしまう。100%とはいかないものの80%効いてしまう。80%効けば患者も喜ぶ。天狗になった医師はそこで満足し、プライドが満たされてしまうのだ。だが、忘れてはいけない。患者の病状は日々変わる。病気の主座も日々変わる。常に「どこが、何が、なぜ悪いのか?」を毎回再検討しなければならない。天狗になった医師はそれを忘れ、同じブロックを繰り返してしまう。言っておくが、原因を根絶しなくとも対症療法で自然治癒する例は多い。トリガーポイント注射などはそのよい例であろう。だが、それではブロックの技術、診断力が上達しない。本当に原因箇所に直撃すれば、ブロックはたったの1回で完治に近い状態にまで導くことができる。そこを目指さなければ頭脳がバカになる。
もしも、患者の症状軽快が、ある一定のところで止まり、それ以上改善しないのなら、全てを再検討する必要がある。自分の判断が間違いかもしれないと考え、さらなる原因の可能性を探らなければならない。それの繰り返しでしか、ブロックの総合的な腕は上がらない。ペイン科の医師は、ある程度患者を満足させることができるがゆえに、診断の詰めが甘い傾向にあり、したがって根治への詰めも甘い。ブロックができるようになり患者に人気が出てもそこで天狗になれば成長が終わる。
6、他に全く異なった病態がある
患者は痛み・しびれ・まひ・異常知覚、過敏性膀胱、顔面神経麻痺、自律神経失調症など様々な症状があり、それらは繰り返しのブロック治療でほとんど軽快させることが可能である(信じない者は信じなくてもよい)。しかしながら膠原病や代謝異常疾患などの全身疾患、脳血管疾患など中枢疾患が合併して症状を複雑化させている場合もある。そういう場合、どれほどブロックを行っても症状の2~3割程度しか、または全く改善しない場合がある。そんな場合でも治療の手をゆるめず、数カ月は治療を粘るべきである。なぜならそれを行わない医師に「全身(脳)疾患が原因である」と除外診断する資格がない。治療に全力を尽くしきった医師のみが「ブロックでは治らない」ことを患者に告げる資格がある。絶対にやってはいけないことは、治らない原因を精神疾患であると決めつけて、精神科医に治療をバトンタッチしようとすることである。
悪いが、私は精神疾患が原因で痛みが誇張されていると判断されてまともに診察されていなかった患者をブロックで何人も軽快させている。脳血管疾患で歩行困難な患者にブロックを行い、歩行機能をある程度改善させている。なぜそういう芸当ができるか?それは脊椎由来の痛みや歩行困難が病状の何割か半分か大半かを占めているからである。そういった合併疾患を本気で治療したことがない医師が気安く除外診断をするのである。
複合疾患をブロックで治療するには、常識はずれなくらいに「あきらめないこと」が医師に要求される。「脳血管疾患にブロックなど効くはずがない」と誰もがそう信じて疑わない中を逆走するようにブロック治療して初めて、脊椎疾患が合併していることを認識できるのである。さて、そうやって向かい風の中、あきらめずブロック治療を行える強い精神力のある医師のみが、「他の医師が治療放棄した患者」を救えるわけである。が、そういった医師が数カ月間本気で治療しても全く無効な場合もある。その場合に初めて、他の合併疾患に視線を向ければよい。他の合併疾患は、今の医学では解決できないものばかり…よってここで初めて患者に「今の医学では治療が困難であること」を宣告してもいいということになる。
7、癒着、変形などの理由で薬液がどうしても狙った箇所に届かない
多くの神経痛には左右差がある。そして症状の強い方は癒着や浮腫のために注射液が到達しにくいのは常識である。また、脊椎手術の既往があって硬膜外腔に注射が出来ないなどの場合もある。その際、あらゆる方向からブロックをすることを検討するとよい。私の場合、例えばL5神経根が神経痛の原因と考えるのなら、腰部硬膜外ブロック、仙骨硬膜外ブロック、L5神経根ブロックの同時ブロックを行う。こうすることで薬液が狙った部分に到達するようにする。このような徹底的なブロックアプローチを行えるだけの粘りと根性があれば、ブロックの達人になることができる。難治性の疼痛を訴える患者を救えるのは、注射技術の高さではない。困難に挑むことのできる情熱である。また、高齢者の脊椎は究極に変形しており、ブロックを行うにも針が椎弓間孔に刺入不可であることがしばしばある。それを入れられるような高度な技術は必要ない。入らないのなら何度も別のレベルからやり直すことのできるねばり強さが必要なだけである。必ずどこかの椎間から刺入できるものである。そうやって粘っていれば、技術は後からついてくる。最初から技術が上手い必要などない。
8、そもそもブロックがミスであった
行ったブロックがミスか成功か?それを決めるのは医師ではなく患者である。造影剤を用いて成功を確認するのは医師の仕事であるが、そもそも狙った神経が間違っていれば、手技が成功でも効果は低い。また、神経損傷を起こし後遺症を作れば、失格である。さらに、自分ではミスだと思っていたが、後に患者に効果を訊ねると、成功であったという場合も多々ある。よって、ブロックが成功か失敗か?を決めるのは患者であり医師ではない。しかしながら、ブロックを行った直後に患者にブロックの効果を訊ねる医師は極めて少ない。そして「あんまり効いてない」と言われた場合、「ではもう一度トライさせてください」と頼み込む医師の姿も見たことがない。医師のプライドが高いせいであろう。何度も言うがブロックをミスするのは達人にだってある。重要なことは、そのミスを挽回するかしないかである。
毎回患者に効果を訊き、ミスを挽回しようとする医師の方が、100発100中をうたう達人の医師よりもはるかに優秀である。ミスを挽回できる医師はそのうち腕前も達人級になる。そうなったとき、自分の手技の非をすぐに認められる医師の方が、多くの患者を救えるようになっている。
9、中枢性過敏
まだまだ現医学で痛みの仕組みは解明できない。それを解明しようとしてアメリカでは毎年、次々と新しい仮説を発表し、痛みの原因が脊髄から脳、交感神経経由などで作られていくことが言われている。痛みの経路は複雑であり、人の叡智が及んでいない。だからいろんなブロックを多数打ちまくっても痛みを根絶することができない場合もある。痛みの求心経路をブロックすることが原因で星状神経節で発火が起こり、ブロックのせいで痛みが増強するということもあり得るというのだから、人間の体には驚かされる。ここでは、ブロックで恩が仇になることもあることを確認しておく。そして、どんなに工夫してもダメな場合もあることを知っておく。情熱だけではクリアできないものもあるということを知っておく。先手を打つブロック治療
ペイン科はあらゆる病気の最後の砦的な科であり、ここに通う患者はあちこちといろんな病院、クリニックを転々とし、たどり着いた者が少なくない。つまりペイン科は治療の先手ではなく後手であるということ。予防医学ではなく最後の砦的な役割を担っている。これではブロック治療に未来がない。ペイン科にたどりつく前に、患者が医者不信になる前に根本治療をしてあげてほしいのである。そして願わくば、症状が初期の状態である時に予防的にブロック注射ができることが理想である。初期でのブロックはその改善率が極めて高い傾向にある(そういうデータも私は提示している)。一度のブロックで完治も珍しくない。初期の症状のうちに先手のブロック治療ができれば、どれほど多くの患者を絶望的な状態になる前に回復させてあげられるか? しかし、そのハードルはあまりにも高い。
様々なブロックは実際、承諾書にサインをさせずに行うことは不可能なほどにリスクがある。初期症状の患者はリスクを侵してまで治療しようと思うことはない。よって初期症状の患者にブロック治療を行うことは不可能である。例えば腰部脊柱管狭窄症の初期症状は30分くらい歩いていると足がだるくなって休みたくなるというもの。痛くもかゆくもない。この初期症状の患者に硬膜外ブロックを勧めても、100人中100人に断られるだろう。
だが真実は違う。30分が10分、10分が5分、1分、30秒と短縮していった末に「寝たきり」が待っている。30分や10分のうちに治療して治しておくことが活動性を維持するために不可欠である。死ぬ間際まで自活できる高齢者であるためには初期症状のうちからブロック治療をする必要がある。
さて、そのことを患者にムンテラして説得させることが果たしてあなたにできるだろうか? やってみればわかるが難しい。患者は応じない。その無理を通して道理を引っ込めさせたのが私である。リスクを究極までゼロに近づけることができるようになれば患者は応じるようになる。一生のうち、たったの一度もミスしなければいいだけの話である。ミスのない人間なんていない。だが、ミスしないことを積み重ねていけばいくほどミスしにくくなる。ノーミスの実績を重ねると、不思議なことに患者は説得に応じるようになってくる。説得する言葉に説得力が備わるからである。
初期症状の患者がブロックに応じ始めると、ブロックの治療成績が一挙に上がり始める。そうして真に予防医学を実践できるようになる。ただし、このような先手を打つブロックは、あなたがよそ見をしていてもブロックを難なくできるようになって初めてできることである。なぜならば、技術が未熟なうちは1回のブロック手技でかなりの精神力を使い果たしてしまい、疲弊してしまうからだ。疲弊した精神で、初期症状の患者を説得しようという気力は残っていない。そんな面倒なことに首をつっこむ余裕などないのである。
先手を打つブロックというのは聞こえがいいが、実際はそんななまやさしいものではない。症状がほとんどない患者に積極的な治療を行う時、副作用もブロックミスもみじんも許されない。つまり今よりも改善させて、しかも合併症は絶対に起こさないという状態に持っていかなければ訴えられることもある。よって断崖絶壁に背後をとられながらのブロックとなる。この精神的なプレッシャーに勝てるようになるには、何よりも実績を積まなければならない。
修行僧のようになれるか?
人は見返りがないことをできないものである。感謝もされない、恩にも着せられない、たいして喜んでもらえないのに、患者の将来の幸福だけを願って、自分が悪者になっても積極的に治療してあげる(リスクも背負って)なんてことはできないものである。初期症状の患者を1回のブロック治療で即効で完治させれば、患者は医師の行いのありがたみを知る機会も感謝する機会もない。完治した患者は2度と来ないので総合的にはもうかりもしない。完治するのだから検査も入れる必要がない。患者はもともと病院に行けば簡単に病気は治るものと思ってそのまま帰るのみである。たとえそれがあなたしかできない特殊な治療のおかげだったとしても患者はそんなことは想像もしない。
もうからない、感謝されない、リスクを背負うという三重苦を医師が一人で抱えこむことはまるで修行僧のようである。だが私はそれを最高の美徳と信じて実行している。だからブロック治療する私は常に目がらんらんと輝いている。患者にも看護士にも同僚の医師にも経営者にも、わかってもらう必要などない。全ては自分の美徳のためにやっている。そして見返りは…ただ単に自分の治療技術が日進月歩で向上していくのみである。給料も上がらない。しかし治療技術が上がっていく喜びは、他のなにものにも代え難い喜びである。
ブロック専門の名医になると修行にならなくなる
私が多少、自分の治療技術に天狗になっていた時、ブロック専門の予約外来を作ろうと思ったことがあった。専門にしたほうが、患者が方々から集まり、ブロック治療でお金ももうかり、有名になり評判も立ち、自尊心も満たされる。何よりブロックの腕が上がる。そう考えていた頃があった。そして専門外来を始めれば、ブロックを初めから希望している患者が集まるので、理解力のない患者にいちいち説明する必要もない。リスクも患者側が承知しているからトラブルにもならない。わからずやの患者がいなくなるだけで外来はとてもすっきりする。このようにわずらわしいことのほとんどを消し去ることができるのだ。
しかしながらそうなると人間は成長しなくなる。人を成長させるものはいつだってわずらわしいものであるのだ。面倒なもの、近づきたくもないものこそが人間を成長させる教材となる。専門外来を作ると、そういったわずらわしいものが一切消えてなくなるので教材が消えてなくなるのと同じである。
テレビに出てマスコミにちやほやされれば向こう1年外来予約が埋まり、タレントまでが診察にやってくる。そうなって天狗にならない人間などいない。だからそこで修行が終わるのである。もうそれ以上成長しない。私は敢えて専門外来を放棄した。そして出来る限り広く一般的な患者を診察することを心がけた。そうしなければ初期症状の患者と巡り会えないではないか。
私はこのようにして、一般的な名医・専門医の道からわざと外れて予防医学を極める道を歩み始めた。他の医師が真似できない前人未到の領域である。それは一言で言うと…楽しい。やりがいがある。道のないところを走り、自分の後ろに道ができることほどおもしろいものはない。そういうこころがけで医師道を歩めば、どの科の医師も皆達人となれる。
達人の道に教科書はなく、患者が教科書である
このことを理解している医師はあまりいないと感じる。それどころか、教科書に掲載されている診断基準に合わない患者は「精神がおかしい」とし、そういう患者を排除しようと努める医師たちばかりを見てきた。何ともったいないことを…と私は思う。教科書の診断基準に合わない患者こそが達人になろうとする医師の教科書なのに…多くの医師はその教科書を破り捨てて必死に排除するのである。これは見ていて滑稽である。治療しても典型的な効果が出ない。診断基準に合わない症状がある…などは医師の思考をブラッシュアップするための教材である。それらでしか腕を磨く教材がない。多くの医師は自動車教習所のてびきを暗記してF-1レーサーになろうとする。それがいかに愚かなことか。教科書にはブロック施行後、その効果が24時間以上持続する場合は保存的に治癒できる可能性があると書かれている。しかし実践では全く違う。
保険医療では週に1回のブロックしか認めていない。たとえ24時間効果のあるブロックを毎週行ったとしても、働き盛りの患者はADLで体を壊し、治療しても治療しても再び体を悪くしてやってくる。永遠に治療効果は1日のみである。こうした患者を改善させるにはどうすればよいか?という真に踏み込んだガイドラインは教科書には全く書かれていない。医師としての醍醐味はこの教科書に書かれていないところにある。ここから先は全く白紙。治療の道は己で作っていくものだ。
こういった難治性の患者の場合、前にも述べたが、私はまず自分に負荷をかける。治療回数を増やすことは患者に負担をかける。だから治療回数はそのままを保ち、1回の診療で複数のブロック注射を行う。もちろん無料奉仕である。診察時間と手間は2倍かかり、コスト面では損をし…患者にはサービスしていることを告げないので感謝もされない。そういうマイナスを私が全部引き受ける。それでも治らない場合は週に2度来院させたりする。この場合も保険では週2回は通らないのである程度サービスする。
週に1回を週に2回にすると治療効果が増大するか?一度にブロックする回数を増やせばどうか?そんな結果は教科書には載っていない。第一、保険医療が認めていないことが教科書に載るはずもない。だが私はそれで他の医師に「治らない」と言われている疾患をことごとく治している。それでも治らない場合にのみ生活指導をする。
生活指導は全ての治療の中でもっとも過酷で難しい。もともと自己管理が出来ていない、仕事環境が劣悪であること、生まれ持った体質などから病気になるのであって、そこを指導するのは患者の死活問題であり、改善させれば必ず患者の私生活にダメージを与える。だからこれは最後の最後に回している。よって私の外来では、手術を回避できない患者とはめったにお目にかからなくなった。つまり手術をしなくともブロックのみで保存的に治療できる。
ここでイイタイコトは、外来治療の半分以上は教科書に載っていないことを実行することになる。もしもそれが大げさだと思っているのであるなら、あなたは全力で外来ドクターをやっていないことが判明する。痛み一つをとっても、今の医学ではほとんど解明されていない。痛みについて勉強すればするほど、解明されていないことを知る。つまり、患者をもっとも苦しめている痛みという症状でさえ、どうすればそれがとれるのか?教科書に答えがない。
もしもあなたが本気で患者のために全力を尽くす医師になることを考えているのであれば、その答えを求める旅こそが医師道であることを知る。つまり道がないのだ。教科書にかじりついている間は、血の通った医師にはなれない(教科書は最低限の知識として勉強しておく必要はあるが、正しいとは限らない)。とかく医師の世界も訴訟が多く、医師は足元をすくわれないようにと、レールの上を歩きたがることは知っている。しかし、レールの上に患者の最大幸福はない。いかに教科書に載っていないことができるか?医師としての輝きはそこにしか存在しない。
大胆な治療をしてはならない
患者はモルモットではない。教科書に載っていない治療を考え出すことが達人への道であることは間違いないが、安全性が確立されていない無謀な治療をするのは絶対にやってはいけないことである。私の治療は他の医師から見れば「乱暴で倫理に反する無謀な治療」と映ることを知っている。だが実際は違う。いきなり教科書に載っていないリスクある治療を行えば、患者は命を落とすことさえありうる。そんな治療は許されない。私が他の医師と違った大胆な治療ができる理由は、積み重ねの結果でしかない。例えば、私は他の医師が薬剤を5ccしか使わないところを10cc使用する。それはいきなり10ccを使い始めたわけではない。最初は6cc使用し、やがて7ccとなり、さらに8ccとなって…数年かけて安全性と効果が立証されつつ現在の10ccの使用量になっている。
このように極些細な医療の進歩が積み重なって大きな変化を生んでいるわけであって、いきなり大胆な治療をしているわけではない。教科書に載っていない治療を推し進めるには度胸など一つも必要ない。神経質なくらいの繊細さと患者から学ぼうとする姿勢のみが必要とされる。患者はよく治療とは無関係な身の上話を医師にする。それこそ腰痛の治療中にお腹が痛いこと、髪の毛が抜けること、足がむくみやすいことなどいろいろと話しかけてくる。
しかし、実はそのくだらない情報こそが宝の山であることをいったい何人の医師が知っていることだろう。普通は「何をくだらないことを言ってるんだ」と聞き流すのみであろう。だが、患者の言葉には新知見がある。例えば、患者が「最近足がむくみやすい」と訴えた時、その原因が1度使用したステロイドのせいかもしれない!と勘を働かせることがあなたにはできるだろうか?
因果関係をつきとめるために、一旦全て己のせいにする。患者のたわごとを全てチェックする。そういう情報収集をしてはじめて教科書に掲載されていない領域に足を踏み入れることができるのである。もちろん患者のたわごとの9割は無関係なものだ。だがそこに耳を傾けて熱心に訊きださなければ新しい治療の安全性は確保されない。どんな些細な患者の変化も見逃さないぞという強い精神力を必要とする。
私は他の医師たちの数々の無謀で無神経で愛情のかけらもない治療を見てきた。繊細さもなく患者の副反応も無視した治療を。しかし、そうした治療は教科書に掲載されている治療である。教科書通りであるならば、患者が苦痛を訴えても無視してよいという冷血な考え方に基づいている。患者もその冷血さを肌身に感じている。しかし、そういう冷血な医師たちの治療を私は非難はしない。彼らにも彼らなりのライフスタイルやプライドがあり、それを非難する権利は私にはない。
治療最優先ではなく幸福最優先
ブロック治療は切れ味の非常に鋭い、保存療法の中では最高峰の治療である。だがその切れ味がゆえにブロックが上達すると天狗になりやすい。天狗になった医師は患者の幸福よりも自分の治療実績を優先してしまう。治らない患者、治そうとしない患者に怒りさえ覚えるようになる。医師が患者に守らせようとすることは、ADL制限とリスク回避、通院最優先。したがってこれはダメ・あれはダメといろいろと注文をつけたくなる。しかし、医師としての本領は禁止魔ではない。いかに患者の生活を許容できるか?である。どこまでならOKなのか? を考えてあげられるのが本物の医師である。治療技術が高い医師であればあるほど、許容範囲を広げることができる。「明日試合なんですけど、出場していいですか?」と言われれば「試合で思いっきりはじけてもいいよ。もしそれで悪化したら私が治してあげる」と言える器量である。つまり、許せる容量で医師の器量が決まる。禁止するのはたやすいし、もしもそれを守らずに悪化させれば患者自身の責任となるので責任逃れができる。
だが、その反対に、仕事していい。試合に出ていい。入浴していい。と許可すればするほど、何かあった時の責任を医師が背負うことになる。それでいいのだ。患者の人生を背負うのが医師の器量なのである。必然的に器量のない医師ほど全てにおいて禁止する。
もし、あなたが外来ドクターの達人を目指すのであれば、常に考えることは「どこまで許せるか?」である。そして許した責任をどこまで負えるか?である。患者のADLにまで口を突っ込み、様々なことを許すこと=様々なことに責任をとること、を意味する。そんなことをして何が得するか? 教科書には掲載されていない真実がわかるようになるのである。
やってよいこと悪いこと。許されることされないこと。そういった未だ答えの出ていない日常生活と治療の関連性という領域にまで知識が広がっていくのである。世の教授たちが、ADLの手引きや体操の手引きなどを作っているが、本当に患者の生活を考えて、本当に患者の幸せを考えて、治療と対比させると、彼らの理論がいかに現実にそぐわないかがわかる。だが、多くの医師たちは、教授たちの机上の空論であるADLの手引きをそのまま鵜呑みにし、患者に指導する。だから治らない。
そして考えるべきことは患者の最大幸福。治療は成功したがそのために患者の自由が制限されたというのでは話にならない。何が患者にとってもっとも大切かを考え、ときには治療を一旦休止することも医師の務めである。そして患者のわがままを許せば許すほど、医師の器量は増えてゆく。
蛇足ではあるが、疾病利得が欲しいがために治療を拒否する患者もいる。生活保護をもらいたいとか、誰かを訴えるためにおおげさな病気の診断が欲しい患者などがそうだ。そういう患者を目の前にすると、頭から湯気が出るほどの怒りを覚えることがある。だが、それはそれで患者の人生である。賛同する必要はないが、敵意を持つ必要もない。自分が何でも治すスタンスの医師であることを伝え、自分の診療を受けないことをお勧めするしかない。このように、世の中には治療目的で来院しない患者も多く存在するということは頭の端に置いておく必要がありそうだ。
ブロックは技術よりも診断力が重要なカギを握る
私は「痛くない注射」を開発し、独自の注射法を確立させたが、基本的な注射手技は同じである。使用する薬剤も同じ。何が他の医師たちと違うかというと診断力である。例えば、肩の挙上時の痛みには1、頸椎症性神経根症、2、肩峰下滑液包炎、3、肩関節炎、4腱炎などが複合している。この4つを全て併発させている患者も少なくない。しかしながら一般的な整形外科医は2に対しての注射しか行わない。よって肩の痛みを取り除くことが彼らには不可能である。私は時に4つ同時に治療する。また、診断のために4つの注射を順番に行い、痛みの原因は何であるかを探る。だから高い確率で痛みを改善させてあげられる。
ここで問題になるのは診断力である。単なる肩の痛みに対しても、最低でも4つの原因を考え、それらをしらみつぶしに治療して真実の痛みの原因を探ろうとする探究心である。痛みを治すことで真の原因を知る。この繰り返しを行ううちに、初診で来院した肩痛の患者をすみやかにその真実を見抜いて診断できる力がついてくるのである。何度も言うが教科書ではそういうことを一切学ぶことができない。
私は縁あってペイン科の医師とも一緒に仕事をする機会があったが、彼らの診断力は整形外科医よりも鋭く、真実を突くことをよく知っている。そして彼らの方が治療技術が1枚上手である。ここでイイタイコトはあらゆる可能性を考えられる幅広い診断力こそが治療力であるということ。注射できる技術よりも、あらゆる可能性に対して全て対応できるように治療を広げていける精神力が大切だといいたい。治療の手を広げることはもっとも面倒なことである。その面倒の一つ一つに全力を尽くせるか?が治療成績に関係する。
患者は出来る限りブロックを受けたくない。医師も一人の患者に複数のブロックを打ちたくない。医師も患者も一度に多数のブロックをしたくない中で、あなたは患者を説得し、痛みの原因が多数あることを推測し、複数のブロックを行うことができるだろうか? 一度に治療すると保険点数もとれないというさらなる制約もある。普通はできるものではない。だからこそ精神力が必要になるのである。やぶれかぶれの精神力ではなく、確かな治療実績に基づく精神力が必要になる。
考えて見てほしい。あなたは必死に患者を完治させる目的で複数のブロックを奉仕注射するつもりであっても、患者はあなたのことを金もうけのためにブロックを複数行うのだと偏見の目で見るのである。その逆説的な屈辱に耐える精神力があなたにあるだろうか?患者の幸福を考えての奉仕活動的な注射行為が、患者には悪徳医と誤解されるわけだ。なぜそう思われるか? 例えば肩が痛いと言っているのに、医師が「頚部神経根ブロックをします」と言ったらどう思うだろう。なぜ肩が痛いのに、クビに注射するのだろう?と医師に対して不信感を表すはずだ。
患者には肩が痛いのに神経根ブロックをしなければならない理由がわからない。試しに五十肩の治療法を教科書で探せば、そこに「神経根ブロック」の項目は一切ない。患者だってバカではない。インターネットで自分の病状を検索し、医師がどういう治療をするか?推測してからやってきている。その五十肩の患者に治療目的で神経根ブロックをご奉仕できるか?ここは究極に精神力が必要なところなのである。
あなたが「肩の痛みに神経痛も加わっている」と診断したとしても、その診断と治療は教科書的には認められていないばかりか、患者にも不信に思われる。その逆風の中、真に病態を見極めて、ブロックするにはかなりの勇気を必要とする。患者には悪徳医と誤解され、教科書的には認められておらず、患者を説得するのは面倒、ブロックするのも面倒…こんな逆風の中で注射ができるのはマゾの医師だ! 多分マゾ医師はそうそういない。そうそういないから私はあらゆる関節の痛み治療で素晴らしい治療成績を保持していられる。別にそれが公に認めてもらう必要もない。
私は同様に膝関節の痛み、股関節の痛みに関節内注射だけでなく、硬膜外ブロック、神経根ブロックも併用して行っている。患者に悪者と思われようがお構いなしに治療して完治させてさしあげる。完治させれば患者は私をようやく信用する。だから再発してやってきた時は、患者は即座に複数のブロック注射に応じる。万一、私の治療に不信感を抱き、他の医師にかかったならさらに好都合。他の医師の治療では治らないからだ。そこでようやく患者は私の実力を知ることになる。医師は患者にバカにされた方が修行になる。失敗が許されないし、プラセボ効果も生まない。
時に患者は私の説得に応じないが、一度の説得ではなく、何度も何度も説得する。すると臆病な患者もそのうち説得に応じるようになる。ただし、説得してブロックに応じさせた場合、ささいな失敗も絶対に許されない。説得すれば医師自体が崖っぷちに立つことになる。私はそうやって自分を崖っぷちに立たせることを趣味として生きている。患者を完璧に治すしか他に道はないというところまで自分を追い込んでから患者を治療する。
さて、ここまで徹底的に治療を行い、数多くの患者を完治させることができれば、医師として教科書を超越した診断力が身につくのである。治療実績に基づく診断である。だからこそ、不信感を抱く患者を相手に、複数の同時ブロックを易々と行い、初診で完治させることができる。この陽のサイクルが回り出すと破竹の勢いで診断力と治療力がアップしていく。
ただ注射がうまいだけのブロックの達人とは一味もふた味も違う凄腕が身につくのである。簡単なようで簡単ではない。が、なかなかできないからこそ他の医師はやらない。やらないからこそ、あなたがすればあなたは即達人への道に駒を進めることができるのである。とにかく、いろんな可能性を考え、それらをしらみつぶしに治療していく精神力。それを真の意味での診断力という。
ブロックで多くの患者を幸せにできる
整形外科にはJOAスコアというものがあり、ADLの活動性を点数化している。JOAスコアが上がることで手術の成績などを客観的に評価している。だが、JOAスコアで評価できないところに患者の真の幸せがある。例えば、私は86歳の脊柱管狭窄症の患者に毎週、腰部・仙部硬膜外ブロック、左右神経根ブロックと合計4本のブロックで同時治療を行っている。その患者は私の治療のおかげで台所に10分立てるようになった。それまでは3分も立つことができなかった。3分が10分になったくらいではJOAスコアでは「ほとんど改善なし」と評価される。が、患者にとってはそれが劇的な改善を意味する。なぜなら、3分では調理もできないが10分なら調理ができる。3分なら洗い物ができないが、10分なら洗い物ができる。3分ならお買い物ができないが、10分ならコンビニまで買い物ができる。彼は私におおいに感謝している。なぜなら、彼はすでに脊椎の手術を2度行い、その病院では「もう打つ手なし」と言われているからだ。私と出会わなければすでに寝たきりになっていたであろうことを彼は自覚している。
JOAスコアは超高齢者の活動性を評価するには適していない。そのうち改善されると思われる。だが、現・整形外科学会では私のブロックはJOAスコアで効果ナシと判定される。学問とはここまで冷血にできている。客観的な評価は、時に医師の治療意欲を低下させ、多くの患者を路頭に迷わす。私はすでに評価を受けることなどとっくに捨てている。患者からの評価もいらない。私のおかげで治ったとなんて思ってもらわなくとも結構。とにかく結果が、患者の幸せにつながればそれでいい。
私はまた、過活動性膀胱をすでに数百名以上完治させている。腰部・仙部硬膜外ブロックを用いてである。過活動性膀胱は高齢者を睡眠不足に陥らせ、さらに夜中のトイレ歩行で転倒・骨折を生じさせ、非常に後期の人生の質を低下させる悪質な病気である。これを治療したことによって患者にはとても感謝される。しかし、一方で患者はブロックのおかげで治ったことを気づきもせず感謝もしない場合もある。なぜならデリケートな病気だからだ。できれば医師にも話したくない病気。だからブロック治療で過活動性膀胱が完治していても、それを医師には告げてくれないのである。
過活動性膀胱は痛みを伴わない病気。よって患者は医師に治療を希望しない。ましてや患者は泌尿器科や婦人科にかかり、私にかかることはない。だから治らない(彼らは抗コリン薬を処方するのみである)。過活動性膀胱が治れば、かなりハッピーになれるというのに、患者も医師もそれがブロックでなおることを知らない。
しかし、仮にブロックで治ることが世界的に認知されたとしても、患者は医師にブロック治療を希望することはほとんどない。それはデリケートな病気であるからという理由と、痛くないので我慢が出来る病気だということ、そしてブロックは怖いという先入観を持っているからだ。よって、過活動性膀胱をブロックで治してしまうには、痛くないブロック、リスクのないブロックができるところまで医師がブロック技術をアップさせなければならないのだ。つまり過活動性膀胱の治療を広めるには、医師を教育し、痛くない・かつ安全なブロック法を伝えていくしかない。もちろん私はそのつもりだ。ブロックは高齢者のADLをいろんな方面から改善させる潜在力がある。
勉強になりました。私は鍼師です。