ブロック技術を最短で高める方法

はじめに

ブロックの治療技術を高めるためには「狙ったところに正確に安全に迅速に行える技術を磨く」と考えるが、現実にはそれは正しくない。正確・安全は数をこなせば後からついてくるものであり、それよりも大切なことはチャレンジ精神である。
難病指定にされていて現医学では治療法なしと言われている疾患にも果敢にチャレンジしたり、手術以外に治療法なしと言われていてもとことん何度でもブロックをトライしたり、1箇所のブロックで治らないのなら原因と考えられるありとあらゆる箇所に一度に多重注射したり、原因がはっきりするまでいろんなブロックをで効果を試したり…など徹底的に工夫するところに上達のコツがある。
さらに効果が今一であったとき、それを自分の注射ミスのせいであると暗示をかけ、患者のせいには一切せず、常に自分の腕を磨こうとこころがけるところにある。もちろん、注射の正確さや手際の良さ、安全性はそこそこ必要であるが、腕が秀でているだけでは難治性の疾患を治すことはできない。真実を追究し、あきらめずに難病に挑む精神が技術を自然に高めてくれる。ここではそうした心構えについて述べる。心構えを多くの医師たちに伝えるというよりも、自分が日ごろどのような心構えでブロックを行っているかを記録したものである。

無知の知

まず痛みのメカニズムに関して、今の医学では「ほとんど何もわかっていない」ということを認識していなければならない。これはつまり、医学書に掲載されている痛みの誘発テストなどは診断の一助にしかなりえないことを受け入れることを意味する。
例えば二つの疾患が重なっている場合、誘発テストは意味をなさなくなる。また、誘発テストが陰性=疾患を否定する、ことにはならない。
例えば、整形外科ではSLR testが陰性であれば神経痛の器質的証拠なしとするような風潮があるがそういう断定をすることを恥じることから、診断技術の向上がはじまる。
今の医学で「痛みに関してほとんど何もわかっていない」ことを認識していれば、既知の疼痛誘発テストがいかに不完全かが理解できる。それらは診断の一助にしかならず、真の診断のなぞ解きをするための糸口であり、そこから総合的に判断して答えを導かなければならない。答えを導いて初めて、効果ある場所にブロックの狙いを定めることができる。いわば無知であることを知ることからブロック治療が始まる。
医学書に掲載されている診断法の数々は、年齢による変化、損傷の力学(圧迫、緊張、擦過など)の違い、成長障害、他の疾患の合併などがあると、とたんに精度が落ちて使い物にならなくなる。そして誠実に患者を診察していると、複雑怪奇な病態は約半数に存在することが見えてくる(約半数というのはおおげさではない)。このことを受け入れなければならない。つまり患者の症状は医学書に書いてあるほど単純ではないことを認識しなければならない。
医師は一般人よりも学力偏差値が高く、勉強もし、プライドも人一倍であることはよく知っている。しかも一人一人が自分は最高であると信じて疑っていないことも知っているだが、忘れてはならない。我々は無知である。医師、博士、教授…という肩書があると、無知を知ることは耐えがたい屈辱であろう。しかし「痛み」のことを掘り下げて勉強すればするほど、「痛み」に関して何もわかっていないことを知り、痛みの誘発テスト、画像診断などで痛みを表すことができないことが見えてくる。

医学書通りでは痛みが治らない

さあ、問題はここからだ。医学書通りに診断し、医学書通りに治療しただけでは、「患者の痛みは治らない」ということをどれだけ率直に受け入れことができるか?である。つまり、患者を治そうとすれば医学書に書かれている診断基準、保険で設定されている治療法を片っ端から無視していかなければならない。医学の常識が通用しないところに痛みの真実の原因が潜んでいる。
医学書を無視して、頭を真っ白にして、痛みの原因をしらみつぶしに叩いていく。それができて初めて真実を追究でき、多くの患者を完治に導くことができる。一見わかりきったような症状の患者に対してしらみつぶしに真実を探ることはたやすくない。例えば、明らかに五十肩であろう症状の患者の頸椎をしらみつぶしに調べる医師はいない。しかし、真実は症状が五十肩に極めて類似した頸椎神経根症であることがしばしばある。そのしばしばに出会うためには医学書的知識を一旦捨てるしかない。
しかし、医学書を無視することと反社会性は同義語である。過去の偉大な教授の言葉を無視し、保険制度の適用を無視し、常識を破るからこそ痛みの真の原因が見えてくる。それをするには自分の身の安全がどうなってもいいと考えるほどの無謀さが必要になる。それを反社会性人格障害という。私はそのような無謀をしたくない。だからデータを収集し、安全性を確保するために少しずつ治療を前進させてきた。エビデンスがはっきりすれば、我々は医学書を超えて自信を持って患者に治療していくことができるからだ。

無知だからこそ情報収集が命

まず自分が(痛みの専門家であろうと、痛みの権威であっても)痛みに関して無知であることを知ること。そして医学書を参考にしないこと。トップクラスのブロック注射の腕になるためにはそこが開始地点である。「私は勉強して何でも知っている」と思ったら最後、成長はそこでストップする。誓って言うが真の診断技術は勉強からは得られない。毎回、患者一人一人がいくつもの糸を絡めたなぞ解きをもらってくる。診断とはそのいくつもの紐を丁寧にほどいていくことの繰り返しである。決して一つの糸がもつれているのではない。
一つの症状に、遺伝要素、免疫学的要素、内科的要素、物理的要素、社会的要素、生活的要素などなど、様々なものが絡み合っていて、その答えは複雑すぎて医学書で網羅できるレベルをはるかに超えている(このことは日常損傷病学で詳しく述べている)。その謎ときに挑むことが真の診断作業である。

ましてや、痛みに関して現医学が遅れている。それを知れば、マニュアル的な治療が正しいか?に疑問を持つようになる。そして何本もの絡まった糸に対応する数の治療法を持ちだし、それを無数に組み合わせることで患者を治していき、治すことで逆算的に原因のなぞ解きをする。患者が治るなら正しい、治らないなら間違っている。そう考えることが治療の開始地点である。
ブロックを行う際には「患者から生の情報を得る」以外に痛みの原因をつかむ方法はない。痛みは「原因が一つではない」ことをまず知ることだ。神経系だけにしぼっても、交感神経、神経根、脊髄後角、視床、脳神経、末梢神経などが複雑に絡み合っている。
膝が痛いと訴えた患者の痛みの原因を調査したところ、坐骨神経痛が合併している割合が約40%だった(「膝関節内注射が著効しない変形性膝関節症患者の徹底調査」参)。これらの患者は膝関節内注射だけでは症状が一時的にしか軽快せず、痛みを完全に除去するには硬膜外ブロックや神経根ブロックを必要とした。これが私の導き出した一つの答えである。
もちろん、医学書にはこのようなことは掲載されていない。高齢者で膝の内側が痛ければ変形性膝関節症としか考えないのが現医学である。しかし何度も言う。痛みは解明されていない。痛みの原因箇所と実際に痛みを感じる場所は全く違うことがしばしばある。原因箇所と痛みの場所がずれることは神経根症の患者に典型的であるが、そういう患者を治療するには「情報収集こそが全て」となる。その情報収集は既存の診断テストなどからは判断がつかないことを私はとっくの昔に悟った。
治療Aでは痛みが2時間しか消えない。治療Bでは痛みが3日消える。治療A+Bでは痛みが1週間消える。そこに治療Cを加えると完治した。などという風に多種多様な治療を試していくことではじめて「痛みの根絶」が可能となる。さてこの時、真の痛みの原因はどれ?と言われても答えようがない。なぜなら痛みの原因は1箇所ではないからだ。複数の原因がどの割合で絡み合っているのか?など、私たちの薄っぺらい頭、薄っぺらい現医学知識でいくら考えても答えが出るはずもない。
だがある程度推測はできる。治療Aは患者がもっとも痛みを感じている箇所への注射。だが、ここは主な原因ではない。またはここが発している痛みは、あってもわずかと考える。次に治療Bは痛みの本質に近付いている、または本質そのものかもしれない。が、実際は治療Cが本質であったかもしれないし、別の痛みの原因が加わっていたのかもしれない。と、このように痛み治療は複雑である。そして毎回頭をフル回転させて名探偵並みに原因を推理していく。これはスパイ大作戦のようなものであり、情報収集がその推理を可能にしている。
医学書が痛み治療に「いかに無力か?」ということは、日常、このように頭をフル回転させながら治療をすることで初めて理解できるようになる。医学書には痛みの仕組みの典型例しか掲載されていない。非典型例は己の頭で考えるしかない。考えるためには精神の強さが必要である。
だからブロック技術を磨くためには、技術ではなく精神を鍛えなければならない。腕はそのあとで勝手についてくる。精神が衰弱するほどに考察・研究を繰り返し、情報を収集し、そして面倒がらずにブロックを組み合わせ、そしてそれを治るまで繰り返し、最終的に治すところまで導く精神力(あきらめない心)のことを言っている。

治療技術は情報集めと推理力

「痛みの原因が何箇所絡みあっていて、どこを、どのように、何度、どのくらいの期間をかけて治療するか?」は推理して実行していくしかない。推理には医学書が役立たない。何度も言う。痛みのメカニズムは現医学ではまだまだ解明されていない。解明されていないものを治療しようとするならば医学書は無力であり、唯一、痛みという現象と、きっかけと、治療機転をつなぎ合わせて全体像を推理していく以外に真相に突き当たる方法はない。
「無知の知」と私は何度も言っているが、知っているだけではダメだ。無知なのだから情報を集めて推測して考えて治療しなければ無知=無謀となる。無謀で患者は治せない。
情報集めで最重要なのは患者から訊き出すこと。長年、推理してきた頭脳があれば患者の話で急性疾患なら9割の謎が解ける(しかし慢性疾患では話をどれほど訊いても謎が解けないこともしばしばある、複数の疾患が重なっているからである)。何度も言うが医学書で勉強した知識は参考にはなるが推理に役立たない。なぜなら先入観と「勉強したプライド」が大きな壁となって、推理することを「低俗な医者がすることだ」という卑下した目で見下すようになるからだ。勉強に励んだ者ほどその知識で全ての謎が解けると思いたいものだ。
よって「推理は医学ではない」とプライドの高い医師ほどそう思うようになってしまう。しかし、それは誓って言うが浅知恵である。現医学を知りつくした専門家の天才医師が数十人集まっても、痛みの原理さえわからないのが人間の体である。真剣に誠実に(医学を出世の材料とせずに)勉強に励んだ医師はその無知の知に必ずたどり着く。逆に言えば出世欲にとりつかれた権威ある医師は無知の知にはたどりつかない。
私が実際に、他の医師たちがよってたかっても治せない患者を治してしまえる理由は情報収集とそれを用いた推理にある。何度も言うが注射の腕ではない。さて、ここでイイタイコトはもう一つある。本当に頭を働かせる賢い医師は画像診断に頼らないということは以前から言われている。画像は見た目に説得力があるが、その画像の異常個所が痛みの原因だと断言する理由は何もないというところである。
現在の科学力では、痛みを画像データに変換することは不可能。だから画像は痛みの原因を推測するための一つのちっぽけな道具でしかない(あくまで証明は不可能)。そうはいうものの、私も現在、画像と症状を結び付けるための法則を必死になって研究している。しかし、それは本当に複雑で込み入っている。浅知恵では症状と画像を結び付けることは不可能だ。ヘルニアがあるから痛みがある。ヘルニアがないから痛みは器質的にあり得ないなどという医師たちがいるが、そのような「考えを止めた医師たち」の治療技術は停滞する。

上手な鉄砲を数打つことの利

ブロック技術を手っとり早く上げる方法としてベストな方法は一人の患者にいろんなブロックを多く試すことである。なぜなら、何度も言うが痛みの原因はあなたたちが考えているほど単純ではなく、一つの症状に見えても、原因が二つ三つ重なっていることがしばしばあり、逆に三つ四つの痛みの症状の原因がたった一つであることもある。これらは現医学理論で解明することは不可能。そして実際に治療しなければ答えが出ない。ならばシラミツブシにブロックを試してみるしか完治させる方法はない。しかしそれを実行するには5つの大きな壁がある。
一つは患者が嫌がること、二つ目は医師にストレスがかかること、三つめは保険制度がそれを許さないこと、四つ目は外来の一人当たりの診察時間には限りがあること、五つ目はリスクに対する責任を負わなければならないことである。
これらの5つの壁は越えることが非常に難しい。どれもあなたの前に大きく立ちはだかる。はっきり断言するが、特に五つ目の「リスクに対する責任」が最も重い。ブロックを行えば手術並みに責任問題が発生する。腰部硬膜外ブロックは800点だが頚・胸部硬膜外ブロックが1400点である理由は、責任の重さの差である。技術的には同じなのだから。
私は「何かあったら訴訟されても逃げない。罪はつぐなう。」という強い覚悟でブロックに臨んでいる。高齢者にブロックを行えば心肺停止もありうる。それも覚悟で、常に何があってもすぐに対応し責任をとるという姿勢で行っている。常に異常なほどの危機感と危機管理の中でブロックを行っている。副反応を知るために自分にもブロック注射を定期的に打って研究している。
ベテランのペイン科の医師は即席芸のようなブロックをする者が多い。数十秒で硬膜外ブロックなどを行う。針を刺すスピードもめっぽう早い。手技の速さに酔っている。だが、私は注射器のシリンジを押して薬液を注入する際「この注入で患者が死ぬかもしれないから慎重に入れろ」と何度も自分に言い聞かせながら注入している。目をつぶってでもできるくらいの技術があってそうしている。それはたいへんおおげさであると思われるかもしれないが、一瞬たりとも気を許さないようにするための呪文だ。ブロックを即席芸にすると医師免許書が何枚あっても足りない。
そういう覚悟と緊張感があるから大きな失敗を絶対にしない。絶対にである。体力も精神力も万全にするために、診療前に睡眠不足も夜遊びもしない。そこまでストイックにブロックに全力を尽くし、人生をかける。こうやって五つの壁を乗り越えている。そして上手な鉄砲を数打って必発させる。原因箇所は逃さない。必ず当てて難治性の症状も治す。以下に5つの壁を乗り越える方法を説明する。

5つの壁その1、患者の信用を得る方法

患者の信用を得なければ、患者はブロック注射などをさせてはくれない。初診の患者は目の前のあなたを信用する材料がない。私のように無名な医師はたいへんである。医師というだけである程度信用されるが、ブロックとなると話は別である。
信用を得るもっとも楽な方法は、笑える話だが…外来を全予約制にすることだ。しかも、予約には3カ月待ちとでもなれば、患者はあなたのことを知らずに来院することはない。予約患者は最初からブロックされることを期待して来院する。
だが、そういう横着をしていると治療の腕は上がらない。患者を信用させる技術も、医師として磨くべき技術であり、信用を築いているうちに、痛みの原因の真実にもたどりつく。第一天狗にならずにすむ。己を磨くには天狗にならないことがどれほど大切なことか…。
以下に患者から信用を得るための条件を述べる
  1. なぜ痛いのか?を簡潔に説明できる
  2. どうすれば治るのか?の選択肢を与え、それぞれの長所短所を説明できる
  3. 治療計画を立てて説明してあげる
  4. 痛くない・怖くないブロックができる
1は難しい。痛みの理由は解明されていない。2は難しい。いろんな技術を持っていないと選択肢さえ持ちえない。3は難しい。多種多様な治療実績がない医者には語れない。4は難しい。ブロックはそもそも痛いし怖い。そして1から4の技術の全てが医学書には載っていない。
甘く考えないで欲しい。たとえば「両下肢が20年前からずっとしびれています」と訴えた患者に、「どうすれば治るのか?」の選択肢を与えられるだろうか? しびれは医学書的には「まず治らない」と書かれている。つまりほとんどの医者に治療実績はない。治療実績がないのに、どうすれば治るのか?は説明できないし、治療計画も立てられない。
はっきり言う。私はしびれを数多く治してきたからこそ治療実績があり治療計画をたてることができる。その方法は医学書に掲載されているはずがない。つまり、どれほど医学書を勉強しても医者が患者から信用を得る方法は今のところ「名声や評判を上げる」以外にない。マスコミを使うか、大学病院で偉そうにしているか、教授にでもなるかである。そして予約外来、専門診をすることだ。だがそれは誰にでもできることではない。普通の医者は治療実績を重ねることが患者の信用を得る技術を高めることにつながる。
医者ならば誰もが患者の信用を得ることをあなどっているが、患者の信用を得るのが最も難しい。そして信用を得なければ患者はブロックをさせない。腕も上がらない。信用させるには一にも二にも治療実績が必要である。だからブロックの達人への道のりは険しい。だが、言う。千里の道も一歩からである。大志があれば必ず上達する。

5つの壁その2、ストレスを乗り越える

ある程度ブロックの腕が上がり、他の医師が治せない症状を治せるようになると誰もが天狗になる。必ずなる。別に天狗になっても構わないが、態度の悪い患者と出会うと「こんなクソ患者に、私がどうしてここまでしてあげなければならないんだ」というネガティブな感情が必然と湧いてくる。私もそうだった。
患者はもともとかなり医師不信であるため、本当に親身になって助けようとしている医師の前でも見下した視線で小馬鹿にする者がいる。ブロックを勧めても嫌がる患者も大勢いる。自慢ではないが私はわざと自分を小さく見せていたから余計に見下された。なぜ小さく見せるのかの理由は、外来が混み過ぎることを避けるためだった。患者たちに過小評価されるように振る舞い、その地域で評判の医者になることを避ける必要があったのだ。私の外来は5~6年前は鬼畜のごとく混んでいた。週に1回パートに行くクリニックでさえ私の診察日のみ長蛇の列ができた。しかしそれでは患者を真剣に診れないのである。肉体・精神共に疲弊した。それからというもの、私は患者に好かれることを可能な限り避け、初診の患者を一度のブロック治療で完治させて返し、しかも患者に感謝されないように、何事もなかったかのようにこっそり治療することを始めた。まさにできる限り過小評価されるように振る舞った。患者に過小評価されることのほうが、混雑しすぎる外来をこなすよりもストレスがかからないのである。
我々医師にはストレスをかかえてまで患者に懇切丁寧にブロックを行ってさしあげる義理などない。しかも、万一ブロックがミスに終わったら、訴訟されることもある。だがらブロックは医師にとって汚れ仕事に等しい。汚れたことをやって患者に恨まれたらこんな虚しいバカげた話はない。給与が一定の(開業していない)非常勤の医師には点数は無意味だ。だからブロックにネガティブになりストレスを感じるのも無理はない。ところが私は全てこの逆をやってきた。
私はブロックを患者に勧める時、常にこの言葉を自分に言い聞かせてきた。「義を見てせざるは勇なきなり」という孔子の論語の一節である。人として当然行うべきことと知りながら,それを実行しないのは勇気がないからである。
ブロックを行えば確実に今の苦痛をとりさることができるというのに、失敗したらどうしよう、患者に恨まれるのは割に合わない、これほど神経を使うのにこんな安い報酬ではやれない、ブロックをすれば1人1人に時間がかかり過ぎて外来が混雑する…などが渦巻き、ブロックを取りやめたくなる自分があったが、それをこの言葉を思い浮かべることで常に自分を叱りつけて逆の行動をとったものだ。
ブロックをすることは常に精神的な重圧だった。だがこの重圧こそが自分の修行であると言い聞かせた。そして目が血走ってもやった。
ずうずうしい患者は来院時に両足関節内注射、両膝関節内注射、神経根ブロック2箇所、腰部硬膜外ブロックを一度にやってほしいと私に要求し「先生、いつものやって」と悪気もなく平気で言ってくる。慣れない医師がこれだけの注射をすれば30分以上かかるかもしれないというのに…断らなかった。患者がどれほどずうずうしくて無礼であっても、感謝を全くされなくても、私はそれを自分への修行と思い込んで治療した。何箇所でもやった。平然とにこにこしながらやった。私はこれらを平然と行うために「患者から感謝されたい」という欲望を捨てることにした。患者の幸せの為には私は憎まれ役もする。感謝される必要はないから、患者の顔色を一切伺わず、常に自分の自己ベストを尽くそうと言い聞かせた。
その精神力を支えていたものは自分の正義であった。「この歪んだ高齢化社会を立て直すためには、高齢者の痛みを取り除ける医師が一人でも多く存在しなければならない。そして全員を救うにはどんな患者でも治さなければならない。どんなに嫌な患者でも、どんなに無礼な患者でも、つばを吐きかけてくる患者でも治せるようにならなければならない。そうでなければ世界がやばい。私の子供が平和に住める国ではなくなってしまう。まず私が救う。無力でも救う。一人でも救う。」そういう大志を抱きながらストレスを乗り越えてきた。
自分を脅迫してきそうな患者、人格障害の患者、認知症で理解力のない患者、極端な恐怖症の患者などなど、避けて通りたくなる患者にこそ、自分を奮い立たせて積極的にブロックを行った。それは限りなく強いストレスを生んだが、そのストレスの向こう側にある将来の姿を見ていた。全て自分磨きの修行である。
恐らく今では、私はピストルを突き付けられている状態でも平然とブロックができるようになっている。自分でそれ相応のストレスをわざとかけながら腕をみがいてきたからだ。大志があればほとんどのストレスは乗り越えられる。あなたたちに大志を抱いてほしいわけではないが、何らかの信条、正義がなければやっていけるものではない。

5つの壁その3、保険制度の壁の越え方 ~達人への道~

私はブラインドで神経根ブロックができる。もちろん完璧ではないが、かなり的中率は高い。神経根に直撃しなくとも、近くに浸潤させるだけでも効果は絶大である。それが証拠に患者は治療後にブロックが効いて動けなくなる。これだけ効けばブラインドでも十分であろう。
さて、患者の立場にたって神経根ブロックのことを考えてみよう。透視下に造影剤を用いて神経根ブロックを行うと、神経損傷のリスクが高まり、造影剤による刺激があり、放射線も浴び、施術にはかなりの苦痛を伴い、施行時間も長い、そして繰り返し何度も行えず、治療費も高い。
一方、私のブラインドで行う神経根ブロックは針が細いので神経損傷がほとんどなく、造影剤も放射線も使わず、苦痛が少なく素早く簡便に行え、繰り返し何度も何箇所も行え、治療費も安い。そして効果はかなり高い(透視下の神経根ブロックには及ばないが匹敵する)。ブラインドの神経根ブロックは保険請求ができない。よって私はブロックを何か所行っても140点で請求していた。平均的に2本行うので神経根ブロックを1か所たったの70点で行ったことになる。
あなたが患者ならブラインドの神経根ブロックをやってほしいと思うはずだ。メリット・デメリットを差し引き計算すれば桁違いにブラインドの神経根ブロックの方が有利だからである。だが、安い。安すぎる。自分の高度な技術が1本70点にしかならないようでは、実行する度にネガティブな感情が渦巻く。そのネガティブと常に私は戦って戦い抜いた。
唯一、S1の神経根ブロックのみ「経仙骨孔ブロック」という名で神経根ブロックと同意の保険請求手技名が存在する。しかし、これは医師をバカにしている値段設定である。経仙骨孔ブロックは140点。一方透視下に経仙骨孔ブロックを行えば神経根ブロックとなり1500点。請求額が桁違いとなる。ブラインドで経仙骨孔ブロックを正確に行う技術は簡単ではない。透視下では1500点、ブラインドなら140点。だったら誰が経仙骨孔ブロックなんてやるのか? 保険点数はどこまで医師をバカにすれば気が済むのだろう。というネガティブさが起こるのである。
私の場合、頸椎から仙椎までどの神経根にもブラインドで神経根ブロックを行えるが、保険請求は140点均一にしている。一応経仙骨孔ブロックが140点であるからそれに準じている。しかも、私は多い時は左右3カ所ずつ、合計6箇所に神経根ブロックを患者にしてあげているが、それも一括140点で請求している。6箇所神経根ブロックを行って140点って…1か所が23点…あり得ないだろう。
はっきり言って、この140点請求の屈辱は想像以上だ。ブラインドでブロックできるという高等な技術をこれほど安価な値段で請求するのだから…。さらに泣けてくるのは、そこまでの慈善事業を行っても患者は感謝もしないところである。私は過小評価されるために「ブロックの2本目からは無料サービス」をしていることをいちいち患者に告げない。だから患者は「普通の医者が普通にやる治療してもらっている」と思っている。感謝されないほうが私の身のためなのである。外来が混雑するので。
ここでイイタイことは屈辱感でも感謝されないことでもない。そもそも保険制度の枠内での治療では患者は治らないことを最初から認識しておかなければならないということである。他の医師たちよりも優れたブロック技術を持っていても、それは評価されない。金銭的な見返りもない。その屈辱に立ち向かわなければ「患者を治せる特別な医者」になることができない。
私はさらにいつもこう考えている。ここまで屈辱的で自虐的なブロック治療は、どんなにブロックの腕を磨きぬいたペイン科の医師にさえ不可能だ。だからこそ、この領域に足を踏み込めばトップになれる。この屈辱と自虐に耐えることで達人への道が拓かれると信じて疑わない。苦痛だからこそ誰もやりたがらない。誰もやらないからこそ自分一人ができれば群を抜いて技術が向上する。
大事なことは、保険制度に負けるな!ということ。あれは単なる「金勘定」。医師としての正義、志が金勘定で曲げられるな!といいたいのである。ほとんど全ての医師が金勘定で志を曲げられてしまう。ならば、曲がらない志を持てば、普通にどの科にいてもトップクラスになる。保険制度を越えろ。保険制度に頼るな。そこから達人への道が拓く。

5つの壁その4、外来診療時間の短縮

下手な鉄砲数打ちゃ当たるのブロックも、一人あたりの診察時間が限られているので数打つことはできないのが現実である。よってブロックの達人になるには診療時間を短縮できる腕も同時に磨くことが必須となる。
私は現在、一人の患者に6箇所の神経根ブロックと腰部硬膜外ブロックを併用するなんてことも平然と行っているが、それはブロックに要する時間がとても少ないからできることであると断言しておく。来る日も来る日も外来でブロックばかりしていれば、手技が速くなり時間が余るようになる。余ったらその時間を患者にブロックを無料サービスしてさしあげることに費やす。その繰り返しで一人当たりのブロック数を増やすことに成功した。
技術が上がるとゆとりが生まれるが、ゆとりが生まれたらさらに自分に過酷な試練を課して、常に全力で診療するということを繰り返している。前に進むためにである。慣れて手を抜いたらそこで成長が止まる。これは私に限ったことではない。どんな分野でもトップに立つ人間は全員が必ずそうしている。だから当たり前すぎて自慢にもならないが、これを読んでいるあなたが、医師としての道を究めたいなら「常に自分に厳しく」することを勧める。医師は意外とストイックな精神力を持つ者が少ないので、あなたがストイックに自分を鍛えれば、割と簡単に頂点を極められるだろう。
話を戻すが、どうすれば手技時間を短縮させることができるか? それはまず最大限に無駄を省くことである。ブロックを多数行うに当たってもっとも時間がかかるのは初診患者の問診と説明と説得である。私は問診票を症状別に用意し、さらに「どういった治療を希望しているか?」までをつっこんだ質問に答えてもらうようにアンケート調査を事前に行っている。「今の痛みを治療するのに注射をしてもよいか?」が最重要である。
私が医師として目の前の患者にブロックが必要と思っているのに、患者が「注射はしたくない」という意思表示をしていれば、説得に時間をかけなければならない。その辺を事前調査しておくと時間の短縮になる。
次に時間がかかるのが処置時間である。患者に脱衣させて体位をとらせて消毒して注射。この一連の時間を短縮させることと安全性を確保することはシーソー関係にある。消毒や処置の道具の準備は念入りにすれば感染のリスクなどを低くさせられるが時間は多くとられる。
さて、私の場合、例えば腰部硬膜外ブロックを行う際に手袋はしない。消毒は刺入部のみ直径3㎝。トレーも緑布も使用しない。局所麻酔と注入する麻酔液は同じシリンジで同じ薬剤。よって体位をとらせてから針の刺入まで30秒。注入は慎重に行うので3分。これで全行程終了である。施術後の臥床安静は70歳以上に限定し20分間である。この辺の理由は硬膜外ブロックの手技のところで述べる。
ブロック後の入浴もOK。しかし感染はブロックを何万件と行ってもゼロである。この辺の手技については異論もあろうが、それはまた別のところ(「ブロックリスクマネジメント」参)で論じているので参考にされたい。処置には多くの無駄な時間が含まれているのでそれを短縮させる必要がある。
だが、肝に銘じておかなければならないことがある。ブロック処置には時間を短くしてもよい部分と絶対に短くしてはならない部分があることを見極めなければならないということだ。
例えば、針を刺入している最中、シリンダーを押している母指を少し放すと血液の逆流が見られることもよくある。つまり血管損傷のサインだが、これを急いで行っていると見逃す。麻酔薬を注入する際には、「注入量によってはこの患者を殺すことになるかもしれない」という緊張感を持って慎重にていねいにゆっくり行う。ゆっくりであれば、脊髄麻酔になった時でも少量の注入で引き返すことができる。頚部硬膜外ブロックのときはこれが医師と患者の命を救う。
私は基本的に安全に関するリスクマネジメントも、超現実的に真実を追究している。感染のリスクよりもはるかに大きなリスクはブロック後の循環器系ショックである。よって、消毒などの手技時間を短縮させて、その分を麻酔薬の注入時間をゆっくりていねいにする時間に回し、最大のリスクを最小限に抑える工夫をしている。
世の医者はたいていこの逆だ。消毒と準備に何分もかけ、薬液の注入は数十秒である。そして脊髄麻酔になって循環不全ショックを起こして意識消失をさせてしまう。常に「何がもっとも危険か?」の真実と向き合っていれば、こんなことにはならない。
短縮してよいものと絶対に短縮してはいけないものの区別をしっかり明白にしておくこと。そうでなければ急ぐがあまりブロック事故を何件も引き起こすことになる。どんなに急いでいてもゆっくり慎重にする工程を絶対に確保しておくこと。それはブロックの聖域である。その聖域は間違っても「消毒」にあるわけではない(これは消毒をしっかりすれば安全性が確保できると考えている愚かな医者への嫌味である)。
必要なものは必要。不要なものは不要。それを真実を見る心眼で直視して振り分けていく精神力が手技時間を短くしていけるのだということ。そうやって贅肉を落としていくと、治療は安全かつ迅速になる。安全かつ迅速になれば、一度に10箇所のブロックなどという芸当もできるようになる。こうなると患者の治療法がどんどん広がり、引き出しも広くなる。治せないものを治せるようにもなる。

5つの壁その5、リスクに対する責任 ~情報収集から~

私にとっては指の関節に注射するのと、頚部硬膜外ブロックを行うのと、どちらが技術的に難しいかと言えば指の関節内注射である。が、関節内注射は80点、頚部硬膜外ブロックは1400点。この値段の差は技術料ではない。それを施行する医師に対する責任の重さに対する値段である。タクシーの運転と旅客機の操縦で給与に差があるのと同様である。
我々は第一に患者の安全を守る義務がある。ブロックは内科的処置の中でも侵襲が大きい。責任は重い。さて、その重い責任をどこまで負うか?がブロックをする機会においてもっとも重要である。
責任を持つことは、患者に起こるブロック後の全ての事件について首を突っ込むことに等しい。ブロック後に患者に何が起こるかを患者から全て訊き出すことで責任をはたせるようになるのである。何をどうすればどんなことが起こるのかの生データを患者から訊き出して調査し、それらが起こらないように毎回努力してその情報を蓄積していく。こうしていくとリスクの発生率をどんどん低下させていくことができるようになる。リスクの低下こそがあなたのブロック技術そのものなのだ。患者は医師に嫌われたくないために、ブロック後の小さな不具合は申告しない。だからそれを想定して訊き出すしかない。
最後に、私は上記のように大変偉そうな物言いで文章を書いている。高慢なやつに見える。いや、多少天狗になっている。しかしながら天狗では技術が向上しない。だから再び自分を戒める。天狗になれば安全確認を怠りやすくなり事故が起こる。そうならないように天狗をやめなければならない。

まとめ

まとまりがないが、要するにブロック技術を上げるには精神力が必要だということ。精神を鍛えれば腕が必然的に上がりますという身も蓋もない話である。おわり。    

ブロック技術を最短で高める方法」への2件のフィードバック

  1. 仙骨部硬膜外ブロックは、硬膜外ブロックで、経仙骨孔神経ブロックは、神経根周辺に麻酔剤を浸潤させる手技という事でしょうか??

    • 仙骨の硬膜外ブロックは、正式名が仙骨裂孔硬膜外ブロックであり、仙骨の再下端の中心にある孔からのブロックです。経仙骨孔は別名 後仙骨孔ブロックといい、仙骨後面に開いた左右四対の孔からのブロックです。それは仙骨部の神経根ブロックとほとんど同じ意味です。前者は全体狙いで後者は1本狙いです。経仙骨孔ブロックは手技的に難しいブロックなのですが、厚生労働省が1400円というあり得ないほど安い値段をつけてしまったために、このブロックを行う医師は全国からほとんどいません。仙骨裂孔硬膜外ブロックは3500円で、神経根ブロックは15000円です。神経根ブロックと経仙骨孔ブロックはほぼ同じブロックであるのに、一桁以上の値段差があります。

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