勤務初日で再びクビ決定?!

新しく勤務するパートの病院で院長から「ここは患者さんで混雑する病院」宣言を受けたわけだが、「混雑に真っ向挑戦してみよう」という好奇心から私は即刻ここに就職を決めたわけた。しかし内心不安もある。 混雑をさばくことと患者をていねいに診療することは油と水の関係にあり、あちら立てればこちら立たずという究極の選択の領域にあるからだ。
ここで立派な志の医師は混雑を無視してていねいに診るということをするかもしれない。しかし、私から言わせればそれは「自分勝手な診療」の部類に入る。スタッフの同意を得て患者に待ち時間の苦痛を味あわせないことではじめて患者の幸福を得ることができるからだ。待たせて当然!の大名診療は立派とは思わない。
大混雑でも待たせずスピーディーに診察し、外来勤務時間のオーバーも回避する。それをどうすればできるか?という無理難題を考えなければならない。 勤務まであと1週間。何をどうすべきか? おまけに勤務初日は全員が私と初対面。つまり私との初診だ。初診は再診の患者の倍は時間がかかる。さらにおまけにこの病院は電子カルテを用いており、検査のオーダーや注射、薬の処方などがコンピュータ入力だ。全く初めての場所で初めてのコンピュータソフトと格闘しなければならない。
だから通常、勤務の全く初日は外来業務の遅れが生じ、患者を3時間以上待たせることもある。それは病院の経営者側もわかっているほど初日は大変なのだ。さてこの3重苦をどうきりぬけたらよいか?
私は考えた。私の外来診察ではどこの何が時間がかかっているのかを。その時間の無駄を省略すれば初診の患者でも素早く診療することができるはずだ。
まずは初診患者の病状を把握するための医者と患者の問答に時間の無駄が多い。無駄と言ったら失礼になるが、患者は医師の質問したい要点から大きくそれて全く今の症状と無関係なことを話そうとする。それは「自分の病気を知ってほしい」という欲求があまりに強いせいなのだが、話がそれていても必死に話をしている患者に悪いので「その話は関係ありません」とむげに遮ることはなかなかできない。
そしてそういった患者の無駄話の中にとても重要なものが隠されていることもまれにある。このマレな話がとても重要だということは多分世界中のどの医師よりも私は知っている。私が今のように病気を多角的に診察できるようになったのは、その無駄話を必死に聞いてきたからだと言っても過言ではない。
にもかかわらず今回は患者の無駄話を遮ろうと決心した。その分、問診票を充実させてそこにたくさん記入してもらい、患者が持つ情報をできるだけたくさん吸収しよう。マレで重要な情報はその後に訊きだしていけばいい。
そこで私は今回、複雑で他項目にわたる問診票を作成した。多くの病院で配っているような軽い問診票とはわけが違う。様々な情報を引き出せるような密度の濃い問診票を作った。そして一方で私の診察の注意として 「患者様は医師の質問に答える形でお話し下さい。できるだけ自分から話さないようにしてください。」との注意書きも加えた。
もちろんこの注意書きが不適切であることは知っている。そしてこう書いてもしゃべりたがりの患者はマシンガンのようにしゃべってくることも知っている。そして私にはそのおしゃべりを遮る権利もある。なぜならば、患者をていねいに診察したいからだ。
無駄なおしゃべりに時間をかけるのではなく、有意義なおしゃべりに時間を割きたい。限られた診察時間を最大有効に使うためには患者の発言をやむを得ずさえぎる。それが患者の最大幸福を追求するために必要とあらば仕方がない場合もある。
混雑する外来で、患者を真剣に診ようとすれば、無駄なものをそぎ取らなければならない。この信念に一つの迷いもない。もちろん、無駄な話の中に100に一つ、重要なものが含まれる。しかしそれを読み取る自信はある。話を遮ったとしても患者に全力を尽くす姿を示していれば患者に立腹されることもない。この自信をうぬぼれ、おもいあがりと言われてもかまわない。自分の診療技術の高さを信じている。だからこそ無謀とも思えたが「自分から話さないように」との文章を付け加えた。
さて、これで一つ無駄を省くことに前進した。その次に無駄なのは何か?と考える。それはとにかく私の診療技術の高さを患者に信じさせるために説得する時間だ。
私は初診の患者に全力を尽くす。患者の幸福を最大限になる方法を優先させる。ならば何度も通院させないことが必須となる。そのために初診時から最高に効果のあるブロック治療をすすめることが多々ある。しかしその際に「まさか初対面で注射などするわけがない」と思っている患者を説き伏せなければならない。
前の診療所には5年勤めていたから地域で私の腕を知らない人はいないというほどになった。だから初診の患者も初めから私の全力の診療を速やかに受け入れてくれていた。つまり話が早いのだ。
ところがここは違う。私のうわさも評判もゼロ。そこで初回からいきなり全力治療をするといえば患者は恐怖心につつまれる。しかし、私はそれでも初診で一発完治を実現するための努力を惜しまない。だから患者が本気で自分の症状を治したいと思っているのなら、ブロック注射をすることを説得する(患者が本気を出さないなら説得しない)。
しかし、私が患者の病気を治せるという事実を初対面の患者にどうやったら信用させられるか? それにはいつも患者を説得するために説明する会話を文章にして診察前に配っておけばいいことである。それを信じるか信じないかは患者に任せればいい。最低限、説得に要する時間を削り取ることはできるだろう。
そこで私はこれまで多くの患者を完治させてきたことや、注射が安全かつ痛みをほとんど感じさせることなくできる高度な技術を持っていることなどをプリントにしてまとめた。 次に時間がかかるのは何か? それはブロック注射がどんな効果を持ち、どんな副作用があるのか?将来的にどうなるのか?などを説明するための時間だ。 これは各種の注射ごとにその説明は変わるので、3種類の注射についての説明書きを作った。これを配ればいい。
最後に、私の注射のスピードは著しく速い。だからこれについては時間を短縮させる必要はない。私はこのように混雑する外来で、診察初日に遭遇するであろう困難に対応するために様々なプリントを用意した。その数12枚。A4の用紙にぎっしり書いた文章が12枚分である。そしてさらに、「初めてかかる患者様へ」と題した用紙に「問診票に記入することへのお願い」を印刷し、外来で見えるようにそれをたてかける紙置き台まで用意した。
さて、ここからが笑い話である。 外来開始30分、患者が全く来ないのだ。 話によるとここの外来は整形外科医が私を含めて3人いて、多くの患者は私以外の二人の医者にかかっているらしい。なぜならばここは予約診をやっていて患者はそれぞれ目当ての先生にしかかからない。本日私に来るのは新患のみらしい。
私の用意したプリント用紙には「大変混雑が予想されますので…」ということが前提だ。これほどガラガラであれば私の書いたような内容は全く意味をなさない。一人一人、いつものように話をきいて診察していればよい話だ。まったく拍子抜けとはこのことだ。
しかし、ことはそれではおさまらない。外来を開始して間もなく院長が形相を変えて私のところにやってきた。
「先生、こんな用紙を勝手に配られては困ります。それに何ですか!この文章は!自分から話さない!って書いてあるじゃないですか。こんなふうに患者の話を聞かない医者は困ります。患者の話を丁寧にきいてこそ医者じゃないですか! それに先生の言う高い技術って何ですか?医学的に検証されて認められた技術以外で勝手に高い技術なんて言葉をうたわないでください。ここはチームプレーなんです。他にも先生方がいるんです。こんな勝手なことをされては困ります。ここでプリントを配るには病院長である私の許可が必要です。そうした承認のないプリントを配ることは言語道断です。先生の外来が本当に大混雑して必要に迫られたらまた考えます。今ここはそうじゃないのですから、こんなことはやめてください。クレームを処理するのはみんな私なんですから。」
ま、ここまで言われれば私が怒りだすかといえばそうではない。院長の言うことはいちいちごもっとも。私はここが大混雑していてまともな診療ができないことを想定してのことだった。これほどすいている外来では必要ないと言われればその通り。
そしてプリント用紙に書いてあることは、私が常日頃患者に説明していることばだが、印刷するとなると話は違うらしい。印刷すると病院の責任になるということだ。 「私はここが混雑するということを前提としてこのようなプリントを作りましたが、確かにこれはさしでがましいようでした。私も、これほどすいている外来ならばここまでしなくてもよいと思っています。ですから一旦、プリントを配ることはやめましょう。」
私は自分のやることに反省などしない。病院がどう思われようとそんなことは関係ない。ただただ患者の最大幸福を追求する。クビにしたければ即座にクビにすればいい。だが、このプリントは今のところ必要なし。私もそう判断していた。院長の言うことはもっともだが私には関係ない。クレームが来ると言うなら「たった一人の患者からクレームが来ただけでも辞めていい。私はクレームなど来させない。そうやっていつも崖っぷちで生きている。君たちのように常に安全を考えて外来を手を抜きしながらやっている医者と一緒にされては困る。
患者の話をまともに聞かない院長から「患者の話を聞くように」と説教された。外科医は手術に忙しく、患者の話をまともに聞けないものだ。別に怒りはしない。私を理解してほしいとも思わない。理解させることは私がこの街でもっとも評判の高い医師となってさえ無理だということは知っている。今までもそうだった。
医師は肩書きで出世する。だから肩書きを必死に守る。つまり肩書のない医師をバカにして蹴落として、自分が今の地位に安定してることを最大限追求している。そういった医師という職業をしているからには、私は同僚に理解されることを希望してはいけない。
「院長先生。私は自分のやったことを反省などしていませんよ。これが間違いというならば私にクビだと言っているも同然です。だったら即座にクビにしてください。ちなみに、話を聞かない医者が私のように外来専門で生き残れると思いますか? ま、今回はやりすぎだと認めますが…」 こういう病院は即座にやめたほうがいい。私の意志を貫けば、いずれはどうせ辞めさせられるのだから。だったら早いほうがお互いのためだ。
私は院長を恨みもしないし怒りもしない。なぜなら院長の反応は正常そのもの。言っていることにも論理性がしっかりしている。私はこれを見て見ぬふりができるふところの広さが院長にあるかどうかを少し見てみたかった。もちろんあるわけなかった。
私のようなやんちゃな医師は守りに入っている人の手には負えない。院長も私を雇って迷惑だと思う。私も当然ながら忙しくなれば院長の意見を無視して自分で動く。常に患者の最大幸福しか考えていない。こんな医者は院長の胃に穴をあけてしまう。
私はここに最初に来たときに、事務長に抗議した。 「外来の午前の受付締切が12:50で午後の診療開始が14:00ってどういうことですか?私の外来は受付を締め切ってからも診療終了までに最低で1時間半はかかるんですよ。これじゃあ休憩時間がゼロになるではないですか。医者が真剣にまともに仕事をするのに、休憩時間がゼロで行えるわけがないでしょう? ここの医者はみんな不まじめに仕事しているんですか? 適当に流して医師業務をやらないとこんな勤務体制でできないですよ。」
事務長は何も言わない。ただあたふたして額の汗を拭いているだけだった。それを見て私は思った。この事務長は医師に頭を下げてとりつくろっているだけのこめつきバッタか…気の毒に。つまり医者の苦情を聞き入れて、医者の顔色をうかがって不機嫌さをやわらげる役割を担っているのだということがすぐにわかった。私はもうそれ以上何も言わなかった。この人に何を言っても無駄か…。
3重苦の最後の壁は電子カルテへの入力だった。富士通製の医療用ソフト。コンピュータが苦手な医師ならマスターするのに1か月も要することがある。私はこういうシステムをマスターする能力は極めて高い。パソコンが得意だからだ。初めてのソフトでもなんなく使いこなす。10分説明してもらっただけでほとんど全て、瞬時に操作を覚えた。この壁はたやすく乗り越えられた。
1日を通して私が想像していたほど患者は来なかった。私は普段、もっともっと混雑した外来をこなしている。だから19時の診療終了時間と共にきっちり診療が終わった。時間通りだ。
最後に事務長がやってきた。 「先生は富士通製をご使用になったことがあるんですか?」 「いいえ、全くの初めてですよ。ですけど私のような外来専門の医者はどこへ行っても即日即戦力にならないと使い物にならないんですよ。こんなものはすぐに覚えるのがぼくの仕事です。」 事務長は黙っていた。
「それより、勤務初日で申し訳ありませんが、ここは長くないと思いますよ。事務長にも院長にもご迷惑かけてしまって申し訳ないです。私のようなならず者はすぐに辞めさせた方が賢明だと思います。」 事務長は何も言わない。 「では失礼します」 挨拶して帰途についた。
帰りに妻に電話した。 「ごめん、ここは性に合わないよ。勤務初日で院長と喧嘩したし、また就職先探すから勘弁してね。」 「う、うん、わかった」
私はどこの病院でも即戦力になれるし患者からの評判は即座にうなぎのぼりにできる。しかしそれを証明する肩書きを何も持たない。だから雇用者側には信用されない。医師の世界は肩書きだけしか通用しない世界。その中で患者を治療する技術を日夜磨いているが「高度な技術って何ですか?」と言われてしまった。
外来を真剣に診ているふりしかできない医者に「患者の話を聞きなさい」と説教されてしまった。クレーム対応に追われるのが院長の仕事。私はさしずめクレームを作り出すメーカーだろうか…。
ただし一言だけ追加しておく。クレームを怖がる医者は患者のいいなりになるがゆえに患者を正しく治療できない。真剣に患者のためを思い、治療するためにはクレームに惑わされない信念が必要になる。
院長、あなたもそこまで成長すれば私のようなならず者を有効利用できるようになるだろう。今はまだ無理のようだ。というよりも私もそんなことを院長に期待してはいけない。 さて、その後、医師業務斡旋業者の方から電話があった。
「先生、初日の勤務ご苦労様でした。先方の事務長さんからは、たいへん有能な先生を紹介していただいてありがとうございます、というお返事をいただいてますが…」 「えっ? そうかなあ、ぼくはさっそく院長と喧嘩したよ」 「あ、あのう、それはどうしてですか?」 「まあ、何と言うか、ぼくがはりきりすぎたのがいけなかったんだけどね」 「合わないということですか?」 「いやあ、そういうわけじゃないんだけれど、温度差が違うというか…」 業者の方は私の返答に困っていたようだ。
「で、ご勤務はどうなさるおつもりですか?」 「やあ、即座にやめるというわけじゃないけど、先方がぼくでいいというなら一応そのまま続けるよ。でも多分、長くないと思いますよ。」 「あ、そうですか…」
斡旋業者は斡旋後に医師の評判を聞きとり調査してそれを次回の紹介にフィードバックさせているようだ。ま、私は普通の医者と違うからなあ。私はおそらく使い物にならない医者として登録されただろう。だからジョーカー的就職先しか回ってこないだろう。気にしない気にしない。