私は今、小さな診療所でパートの医者をしている。しかも珍しくここでは4年以上働いている。なぜ珍しいか? それは常に経営者に媚びることなく自分の信念を貫いて医師業にいそしんでいるので商業主義の経営理念についていけなくなるからだ。ここの経営者は汚い!と思えば優遇されていてもかまわず辞表を提出する。
しかし、今回この診療所勤務が4年以上続いている理由はただ一つ。保険の点数のことをとやかく言われないですむからだ。
保険点数といえば一般人にはなじみがないが、医療経営者にとってはとても甘い汁だ。毎年改正されはするが、お上が医療行為に対して杓子定規な料金設定をしていて(これを保険点数という)その設定事項に書いてあるメニューだけが「お金をもらえる行為」とされている。つまり、メニューに載っていない医療行為をしてもお上はお金を払いませんよ、というのが保険医療制度だ。
例えば、お膝に膿がたまっている患者がいたとして、その膿を抜き取って30分かけてていねいに膝の中を生理食塩水で洗浄し、最後に痛みを緩和するためにキシロカイン(表面麻酔剤)を注入するとする。
ところが保険のメニューには「洗浄」という行為がない。したがって30分かけた人件費、食塩水や注射器などの材料費、洗浄をするという技術料などが患者にも国にも請求ができない。ただし、キシロカインを注入した手技料のみは請求できる(これは保険のメニューにあるから)。
洗浄というとても面倒な医療行為をやったらやった分だけ慈善事業になる。だから医療経営者はこういう慈善事業をする医者がいると厳重注意し、二度と「お金にならない行為」をしないようにと指導する。
しかしよく考えてほしい。膝に膿がたまっていて激痛で歩けない患者にとって、もっとも必要な医療行為はこんせつていねいに膝の中を洗浄し、膿を可能な限り除去すること。それ以外にないことなどシロートが考えてもわかる。
そういった絶対に必要な医療行為が保険のメニューに載っていないこと自体がおかしい。患者を救うために膝の洗浄をすれば経営者にどやされる。ならばこの患者にたまった膿は見て見ぬふりをしろというのだろうか? その通り、多くの医師たちは全国共通見て見ぬふりをすることになっているのだ。
ちなみに私は膝に膿がたまった患者を他の立派な大学病院の整形外科に送ったが、その患者の話によると、送った先の病院では一度も膿をぬいてもらったことがなかったそうだ。ただただ抗生剤の点滴だけしかしてくれなかったと言っていた。これが保険医療制度だ。立派な大学病院ほど非道なことを平気でする。
もしも自分の母親の膝に膿がたまって苦しんでいたら、まっさきにお膝を洗浄してあげるだろう。しかし他人の膝なら見て見ぬふりして洗浄をやってあげない。膝の洗浄の項目をメニューに載せない保険制度も保険制度だが、見て見ぬふりする医者も医者、同じ穴のむじなだ。
話を元に戻すが、私がここの診療所に4年以上もいるのは、私が自分独自の保険外メニューを行っても、うるさく指導してこないものだからだ。まあそれは自由に診療させてくれているといったたぐいのものではなく、医者に対しての指導がずぼらなだけだが…。そのずぼらさのおかげで私はのびのび診療できるのでラッキーだと思っている。
保険制度は想像以上におおざっぱで繊細さのかけらもない。体重100キロの患者も50キロの患者も一定量の薬しか設定されていないし、使う薬もおもいっきり限定されている。したがって3種類の薬剤を組み合わせて使ったり…などという応用医療が一切認められていない。そんな保険制度のメニュー通りに医療行為を行って患者が治るはずがない。だから私は独自のオリジナルを多用する。そして患者を治す。
しかし、こういうことは保険医として望ましくなく、同僚の医者から非難され経営者からも指導される。それでも私は患者を治すことに全力を尽くすから首になる。それを繰り返すから1か所に長年とどまっていられないのだ。私は間違いなく日本一クビにされた回数が多い医者である。
もちろん、首にされない努力はしている。普通の医者の3倍の売り上げを出す。私が普通の企業戦士であれば3倍の売り上げであれば首にはされないが、医療界はバンバン稼ぐ医者を屁とも思っていないようだ。1倍でも検査たらいまわしでお金が潤うからだろう。
さて、私はここでステロイドを含んだブロック注射というものを毎日何十人という患者に行っている。ステロイドは種々の副作用はあるものの、副作用を厳重に管理しながら、緩急をつけて使えばとても切れのいい薬剤となる。その効果は想像を絶するほど高い。
たとえば、ステロイド抜きのキシロカインのみのブロック注射では3日しか効果がないものが、ステロイドを入れると1週間以上効果が持続する。1週間以上効果が持続するなら、毎週ブロックしていれば患者はそのうち治癒する。
3日しか効かないのなら、毎週注射してもよくなったり悪くなったりを延々と繰り返すだけとなる。だから3日と1週間の違いは治療効果で言うと大差となる。さらに長期滞留型のステロイドを使えば2週間以上効果が持続することも多々ある。そして今まで治らなかった痛みさえもとれてしまう。それほど絶大な効果がある。
しかし、にもかかわらず保険制度では硬膜外ブロックにステロイドの使用が認められていない。どこぞのお偉い教授先生がステロイドをブロックに使っても効果があるという証拠なしという悪意に満ちた論文を発表しているせいでこうなっている。それが事実無根であっても偉い教授の発表は正しいものとして受け取られ、それが保険制度に反映される。
しかし、ステロイドが効果時間を長くすることなど、良識ある医者の間、ペインクリニックの医者では常識だ。良識ない医者はお偉い教授の論文を盾にとって「ステロイドを使えば副作用で骨が溶ける、軟骨が壊死する、組織が脆弱化する」などといいふらして患者を脅かす側に回る。
私は何度も言う。もしもあなたのお母さんが歩行困難になって、ブロックをしなければならなくなったとしたらどうしますか?と。ステロイドなしでは3日、ステロイド使えば7日効果あるのならステロイドを使いませんか? 歩けないばかりか、痛みで苦しんでいるんですよ、あなたの母親が…。それとも教授の論文を信じて、使うのをやめますか?
もちろん、ステロイドには副作用もあるが、しっかり患者を診療し、副作用が出ないように使用量を調節し、出ればすぐに対処していれば何事も起こらない。そういった対処を面倒くさがる医師こそ、ステロイド大反対の主張側に回る。そしてことなかれ主義の保険制度は、ステロイド反対派の医師の意見のみを汲み取っている。それは悪意に満ちている。
なぜならステロイドを上手に使える医師の方があきらかに治療成績がよく、医師として優秀だからだ。一緒に働いていればそういった医師はねたまれたりやっかまれたりする。挙句の果てに「副作用も考えずにステロイドを使う乱暴な医者だ」といいふらされもする。ステロイド使用は保険制度が認めていないものだから、突っ込まれたら負ける。だからステロイドは良医ならこっそり使う。しかし、困るのはお手柄を上げたくて使用量をわきまえずに使う無謀な医者だ。そういう医者と私は同じ目で見られるから困る。
さて、話を戻すが、保険メニューに載っていない薬剤を使用することは、経営者側にとっては間違いなく「悪」とみなされる。なぜなら、たとえばステロイドなどの強力な薬は、そのさじ加減が難しく、経験の浅い医師が使うと副作用などで患者とトラブルを巻き起こしかねないからだ。トラブルが起きたとき、保険制度が認めていないことをしたとなると訴えられれば不利になる。そういった種々の問題があってステロイドは特に医師たちに嫌われる。だから言うのだ、良医はこっそりステロイドを使うと…。
私はというと…ここの施設ではこっそりと使っていない。堂々としっかり使っている。保険制度は全く無視している。そして他の病院で治らない、治せない、見捨てられた患者ばかりを診療し、片っぱしから治癒させている。他の医師が治せない患者を短期間で治していくことは天にも昇る爽快さがある。それにステロイドは一役買っている。
そして保険請求はどうしているかというと…ステロイドを使用してもそれを請求しないことにしている。つまり使った薬剤を伝票から削除している。そういうことを事務の方でやってくれているから保険の査定で引っかからないですんでいる。そのおかげでとても自由に幅の広い診療ができ、かつ他の医師に見放された患者をぼこぼこ治すことができている。だからこの診療所に4年以上務めている。
ステロイドは実際それほど値段の高い薬ではない。材料費は100円以内だ。私が腰部硬膜外ブロックをすれば手技料は8000円入る。100円やそこらマイナスが出たって全く問題などないはずだろう。しかも私は腰部硬膜外ブロックを1日に10人以上行う。すでにこれだけでも診療所に8万円以上の売り上げを貢献している。これは他の整形外科医には考えられないような多額の売り上げだ。そんな私に100円程度のマイナスくらいで注意するなどありえない話だろう。という気持ちでやっている。
私はお金儲けで診療しているのではない。目の前の患者を救うために全力を尽くすのみ。だからステロイドも使うしブロックもする。そういった全力の治療に対して、経営者には口をはさませない。はさんできたら即刻辞表を提出する。そういう強い姿勢でやっているからこそ多くの患者を救えているし、自分の医者としての腕が毎日のように上達していく。自分の首をかけた強硬姿勢が患者を救う。私も正直言って首にはなりたくない。だが、全力で治療するためには保険制度に刃向かわなければならない。
刃向かっても首がつながっていられるのは私の外来が常に患者で超満員だからに他ならない。普通の整形外科医の2倍以上の売り上げを貢献し、経営者に私の診療スタイルに口をはさませないように圧力をかける。こういう戦いを水面下で行うことでやっと高い医療水準をキープしていられる。
このことは患者は知らなくていい。私は自分を磨くために保険制度と戦っている。どのみち捨て身にならなければいい医療はできない。身を守ろうなどとは最初から最後まで考えたことなどない。たぶんここも長くないのだろうなあ。