私は外来のパート(非常勤)専門でかれこれ10年以上働いている。もちろん1か所で働いているわけではない。パートの医師は常勤の医師よりも時給が高く、とても割のいい仕事となっている。が、しかし、雇用形態はとても不安定で、常勤医師が新たに就職してくれば、あっさり翌月からクビを切られる。だから全国でパートのみで生計を立てている医師はめったにいない。割がよくても安定収入でいられないからだ。
もしもパートのまま長年1か所で働きたいのなら、数多くの患者に慕われ、人気をとり、その病院の利益になるようにふるまわなければならない。そういう状況に常に自分を追い込む必要があるので、パートのみで生計を立てるには常に診療技術を磨く修行の道となる。
そうやって10年以上、私は自分の診療技術をあげるべく修行を積んできた。おかげでどこの病院に就職しても、1か月もたたないうちに私の外来は超満員状態になる。週に一度しか勤務しなくても、私の勤務曜日だけは超満員になる。
さて、そんな自由な就職形態をとっている私だが、就職先は常に何か所かに分散させている。急にクビを切られても大丈夫なために。そして1か所に縛り付けられないようにするためだ。
今回は日給11万円という大金に目がくらみ、私はとある大手チェーン病院にパート勤務することを決めた。まあ、どうせ、こんな大金をもらうのならば、そう長くはないだろうと初めから覚悟しながらの勤務だ。何かマイナス部分が大きいからこそ、これだけの大金で医師を呼ぶのだから…。そういったマイナスの大きい所はいずれやめることになるだろうと最初から察しがつく。
勤務初日に勤務先で、私と同じ大学出身の同僚と出会った。彼は外科医。とてもなつかしい顔だった。
「あれ?ここで働いてるの?」話しかけてきたのは彼からだった。
「そうなんだよ。今日から働くことになったんだよ。今日が初日。」
私は常に一匹狼で生きているだけに同僚がいることに逆に違和感を覚える。
彼は私の方に近づくなり小さな声で話しかけてきた
「大丈夫か?」
「何が?」
私には意味がわからなかった。
「ここの副院長、高田先生だぜ」
「へえ~そうなんだ、別に気にならないけど…」
高田先生というのは私がむかし外科に所属していた時代の指導医だった先生だ。
実は私と高田先生とはこんないきさつがあった。
大学病院で早期胃がんのとある患者を受け持った。その患者の執刀医は高田先生だった。手術した翌日、私は夏季休暇をいただき、海外旅行に出かけたのだが…夏季休暇が終って大学病院に戻ると、その早期胃がんの手術を受けた患者が危篤状態で集中治療室で治療を受けていた。縫合不全による腹膜炎が起こり、全身が敗血症を起してもう手遅れだった。
患者は間もなく死亡したが、私はこの時から高田先生にいわれのないいじめを受けることになった。自分が手がけた患者を死なせてしまったことを誰かのせいにしたかったのだろう。そのとき休暇をとっていた私にその矛先が向き、高田先生はその日以来、私と一言もしゃべらず、「仕事をほす」と宣言し、私への指導を全て放棄するようになった。つまり、完全無視を決め、外科にいるからには一生いじめてやるという状況を作り出したわけだ。
全くいわれのない不条理な仕打ちだが、白い巨塔とはそういうところだ。この外科で生きていく限り、高田先生の仕打ちは永久に続く。偶発的な事故ではあるが、逆恨みするような人間の元ではやっていけない。
私はこの頃からすでに精神的に一匹狼だったので、すぐさま外科を退職した。そして整形外科に転職した。高田先生にとってはそうした私の姿勢はさらに怒りを買うものだったのだろうと予想がつく。
自分のミスなのにその責任を逃れるための八つ当たりで私を追い出したのだから、高田先生も人格的に失格という烙印を周囲から押されたことだろう。やましさもあろう。怒りの矛先を向けた私は整形外科へ転職し、のびのびと生きている。そんな状態での10年以上経ってのある日の再会だ。
彼が「大丈夫?」と私に話しかけてきたのは、高田先生はその後もいろいろと問題を起こし、幸せとはいえない外科医人生を送り、ヤクザとも関係を持ち、それをずっと抱えて生きていたからだったらしい。私はその忌まわしい事件をよみがえらせる存在なのだと後から気づいた。
私は別に何も気にしていない。どの病院に行っても通用するような腕を持っている。おそらく、この病院で名物になるほどに人気をとれば、高田先生は肩身がせまくなるだろう。そうなったとしても私が悪いのではない。高田先生自身の問題だ。
次の日、医師派遣業者からメールが届いた。○○病院では、幹事会議により、今後非常勤医師を採用しない方針となりましたので、今回の就職の件はなかったことにさせていただきます。
これには笑った。まだ契約書はとりかわしていないから、違法ではないが…、すでに就職しているわけで違法ギリギリの線だ。クビにするにしても1か月前に宣告することが義務付けられている。
まあ、週1で行く病院だからクビにされたからといって困ることはないが、高田先生がそこまで尾をひきずっているとは思わなかった。もちろん、彼の一存ではない可能性もあるが、そう考えるのはこの状況ではむしろ無理があろう。
外科医は「患者を殺して一人前」などということもあるが、彼の腕の未熟さで、生きるべき患者を死に至らしめた経験は、おそらく一生消えない傷だろう。その傷に塩をかけてえぐるような存在である私を嫌うのは十分理解できる。別に私がここを去ればいいだけの話だからわざわざことを荒立てる必要はない。それにしても外科医という職業はたいへんだなあとつくづく思う。高田先生を憐れむことはあっても恨む気持ちはさらさらない。
ただ、私はこの後に気づくようになるのだが、私をいじめた人々はどうやら幸せな人生を送れないらしい。何か守るべき存在が私にはついているのだろうか? そして私が診療所を開業した現在、精神世界の因縁が人の人生を左右することを知るようになった。今から思えば高田先生にはかなり強い因縁がまとわりついている。気づかなければその大きな力から逃れるすべはない。