私はある“腰痛で名高い”有名な病院に週一回のパート勤務の就職のための面接に行った。その際事務長が私に病院のシステムを紹介してくれた。そこのシステムはとても興味深いものだった。
ここでは看護師が患者の訴えを訊き、看護師があらかじめレントゲン照射部位を決めて撮影指示を出し、看護師が診察医師をふりわけるというシステムを用いていた。
通常、患者の主訴を訊いたり、レントゲンの部位を決めるのは医師が行うもの。しかし、ここでは看護師がこれらを行い、医師が可能な限り医師としての専門業務に専念できるように工夫がされていた。もちろん看護師がレントゲンの撮影部位を勝手に決めることは違法ではあるが、違法性は内部告発でしか発覚しないので経営者は絶対に大丈夫だと思っているらしい。
私はこのシステムを見て怒るのではなく、逆に「あくどいがなかなか思い切ったシステムだ。さすが腰痛で名高い病院!」と感心した。しかし、このシステムは後に、お金を儲ける為のシステムだったということに気付いてゆくのだが…
ここには診療チェックシートなるものが存在し、患者ごと、病気ごとに20項目くらいのチェックリストを作成していくというマニュアルがあった。これは診察漏れを防ぐために作られているもので、病名を診断するために非常に役に立つ。「さすがだ」とここでも感心した。
ところが、勤務初日、私は大いにとまどった。診療チェックシートがあまりにも細かく、それらを埋めるには患者一人の診察に10分から15分はかけなければならなかったからだ。
治療や処方の時間を合わせると、患者一人当たりに20分近くかかる。おまけに初日なので慣れていない。手間取っているとカルテが山のように積まれてゆき、患者の待ち時間が長くなってしまう。医者は3名体制で診察にあたっているがそれでもこの日の最高待ち時間は3時間ほどにも膨れ上がった(地元では結構有名な病院)。
後に気付いたのだが、このチェックシートこそが病院の評判を上げるシステムだった。診察に手抜きができないからだ。どんな患者にでもめいっぱい診察しなければチェックシートが埋まらない。しかも、チェックシートが全て埋まっていないと、看護師に注意され、カルテの書き直しを命じられる。シート記入は徹底されていた。
しかし、私にはこのシステムにどうしても納得できないところがあった。それは「どんな患者にも」という点だった。
ある患者が肩と肋骨が痛いという訴えで私のところにやってきた。看護師の指示で、すでに肩と肋骨のレントゲンの写真をとっていた。ところが私が診たところ、それはどうも首が由来の神経痛のようだった。レントゲンは頚椎を撮るべきで、肩も肋骨も的外れだった。
ところが、それだけならいいのだが、的外れであるにもかかわらず、チェックシートが肩と肋骨の2枚分はさんであって、全く悪くもない個所の診察を10分も15分も延々としなければならないというのである。
チェックシートは先ほど述べたようにとても細かい。私は診察する必要のない部分の診察を、このチェックシートのためだけに行わなければならなかった。これは屈辱というよりもまさに医者のオートメーション化である。私たちはただ流れ作業の器械の一部なのだ。AIにでもやらせておけよといいたいくらいである。
おまけに頚椎の写真を撮り直さなければならず、最後に頚椎のチェックシートもはさまれ、この患者に必要のない余計な診察を普通の3倍もしなければならなかった。もちろんこれだけの箇所のチェックシートを完成させるためには30分以上かかった。
患者は3倍の診療代を支払い、3倍の無駄な診察時間をかけられ…しかし患者はそれで満足していたようだ。こんなにていねいに診察してもらえてうれしいという理由だろう。しかし、私にはその診察が最初から必要のない無駄なものとわかっていた。無駄なのになぜするのか?その理由は一つしかない。
レントゲン撮影料が3倍になるからだ。病院の評判も上がり儲けが3倍!私が無駄に診察したその時間は、患者から診察代をせしめるためのパフォーマンスだった。
看護師が勝手にミス指示したレントゲンのせいで料金は通常の3倍。しかし、患者はそれで満足している。ミスがあればあるほど病院は儲かる。それでも苦情は出ない。なぜなら、その後にミス発注した部分の診察をていねいにていねいに行うからだ。診察チェックシートはミス検査のカムフラージュにもなっていた。
私たち医者の診察は患者から多くの検査代金をいただくためのパフォーマンスになっていた。…あくどい。これぞ医療を食い物にした社会保障費奪取ビジネスだ。法的にも合法。いや、本当は違法だがばれることはないというだけだ。まさに法を悪用した金儲け主義の病院だ。こういうあくどいビジネス病院ははじめてだがこれとにたようなことは大病院でもやっている。そしてこの病院の評判は地域ナンバーワン。患者をもっともバカにしているのに評判はいいとは・・・患者たちよ、もう少しかしこくなれよと言いたい。
私がこの病院に勤務するのとすれ違いに一人の医師が私に話しかけてきた。その医師はここに5年間勤務して来月やめて他に移るそうだ。その医師が私にこういった。
「ここは医者のマクドナルドですよ」と。
私はそのとき、まだここに2回しか勤務していなかったが、その言葉の意味がわかった。医者をマニュアルのロボットに作り変えて一定以上の診療技術とサービスを死守させる。それで評判を上げて収益を何倍も上げるシステム。
どうせ患者を完治させることは外来では無理なのだから、病院サービスの質は診察のていねいさでしかない。患者を治さなくても診察がていねいなら患者がどんどん増えてくる。治さないから増える。診察と検査がドル箱。これを重点的にすればお金がもうかる。医業をビジネスと考えるのなら、この病院はビジネス的にとても優秀な企業だ。
私は3回目の勤務のときに辞意を伝えた。もちろんそれは契約違反になるので理由が必要だった。もちろん適当に嘘をついたが。
「医者のマクドナルド」と私に伝えた医師はまたこう言った。
「ぼくはこの病院には親類・縁者を絶対に呼びません。先生はここに来てたった2回でこの病院の内情に気付いたようですが、なさけないことにぼくは気付くのに4年かかりました。お金はたくさんいただき、そして仕事は楽でしたが、無駄な4年間でした。」と…
私はこの病院を変えてやろうか…と少しは考えたが、このシステムを考え出した経営者にとって、そんなことをすれば私は「悪の権化」だろう。ここに勤務している医師のプライドも傷つけてしまう。そう考えて早々に自ら病院に辞表を提出した。
たった数回の診察だが、私を信頼して頼ってきた患者には申し訳ない…が、私はこんなもうけ主義の病院にはいられない。患者からは悲しそうな目で「せっかくいい先生に会えたと思ったのに…先生どうしておやめになるのですか?」と言われた。
「いろいろと事情がありましてねえ…」とお茶を濁す。そして明日から就職先を探さねばならなかった…