疼痛治療の混迷(薬学・神経生理学・麻酔科学・整形外科学の見解の相違)

はじめに

超高齢化社会を迎え、高齢者が働くこと、自立した生活ができることができるための医療の構築が急務となっている。その社会の要求に応えるかのように、最近では分子レベルの疼痛メカニズム解明が急展開を見せている。薬学研究では分子レベルでのレセプター研究が進んでおり、それに追従するように神経生理学、麻酔科学、整形外科学でもそれぞれ疼痛研究が進んでいるが、しかしながらこの4つのチームが情報を提供し合って研究を進めているかといえばそうではなく、ぶつかりあって混迷しているように思える。ここでは4チームのそれぞれの思惑を探り、互いに何を目指してい研究しているのかをはっきりさせ、いったい真実がどこにあるのか?を考えて行きたいと思う。なにせ疼痛メカニズムの解明は、超高齢化社会にとって大急務であるのだから、いがみあっている場合ではない。

それぞれに渦巻く利己的な思惑

私は野良医者であり社会に認められていない医者である。一応、整形外科医を名乗っているが専門医の認定はとっていないし大学とも無縁であり整形外科学会にも毒されていない。よって非常に中立した立場からこの4者をながめることができる。そしてこの4者の疼痛理論の論文をそれぞれ読んでみると、それぞれに譲ることのできない利己的な理論が存在することが判明した。もちろん彼らにはそれがわかるはずもない。遠くから離れて4者を見て初めてわかることだから当事者にはわからないだろう。それぞれが利己的な思惑で研究をするのは自由であるが、混迷してもらっては困る。今はそれぞれの理論をまとめて一本化し、治療へと役立てなければならない時代である。それぞれが我が道を行くであってはならない。

整形外科の疼痛治療の思惑

整形外科学では疼痛が薬を服用して完治しても、ブロック注射をして完治しても、そういうことにはあまり興味を示さない傾向がある。なぜなら彼らは外科医であるから、全ての疼痛患者は手術でのみ治るという状態になるのがもっとも望ましい。外科医の権威は手術で完治してこそその面目と生活基盤が保たれる。もしも薬や注射で完治するならば、彼らの居場所は小さくなってしまう。よって彼らの理論はマクロ的な視点である物理学が中心となる。つまり、神経根をヘルニアが圧迫、黄色靭帯が馬尾を締めつける、上関節突起が神経根を挟みつける…などの目に見える物質的な圧迫により痛みが出ると結論付けたいという意識がある。手術的にそれらを除去すれば完治すると理論が結ばれると、彼らはハッピーである。よって整形外科学では機械的な刺激が神経根に加わると痛みが出るというとても安易な発想に論文が偏りやすくなる。
とりわけ椎間板ヘルニアが神経根を圧迫し、そのせいで痛みが出るのだから、ヘルニアを除去すれば完治すると言いたいわけである。が、壮年者では椎間板ヘルニアがあっても無症状の人が大部分を占めることがわかり、物理的な圧迫が単純に痛みを発現させるわけではないことがわかり、この機械刺激理論は近年修正が必要となってきた。整形外科学の長所は、「どこからが手術でどこからが保存的に治療するか?」という線引きをしっかり診断することで、よって他の学問よりも手術適応に関する診断学が発達している。逆に他の学問は手術適応に関することに全く興味を示さない。
手術適応とは「ブロックや内服などで治らず、日常生活に支障をきたすもの」というおおざっぱな線引きがある。だが、「ブロックや内服で治らず…」というところに大きな問題がある。「治らない…」とは国が定める治療で治らない…という限定が付く。例えば国は通院患者には1週間に1回のブロックしか認めていない(経済的理由)。よって1週間に1度の治療で治らない患者が手術の適応になるということである。週に3回ブロックをすれば治るかもしれないのに、それは許されていないのだ。
さらにそれらの注射は毎週毎週、何度も繰り返しできるのか?というとそうではない。神経根ブロックなどは神経を傷つける可能性もあるので3~4回を限度としている。よって一般的な整形外科医の思考には週1回×3~4回のブロックで治らないものを手術へと導く傾向がある。つまり気が短い。保存的治療に粘りがない。このような気が短い傾向は、手術の成功率があまり高くないため、見直されてきていることは事実だが、まだまだ見直しが多くの外科医に行きとどいていない。
それにひきかえ、麻酔科医(ペイン科)はブロックを週に数回×何度でも行う傾向があるため、整形外科医よりも治療のふところが相当広い。治療にねばりと根性を見せる。よって、ペイン科の医者は整形外科医が治せない神経痛患者を、手術しないでもことごとく治せるが、整形外科医はそれを認めないという傾向が根強く残っている。整形外科医は痛みを「物理的に圧迫を解除する」という治し方をするため、疼痛のメカニズムに対し、細かく研究しない傾向が強い。よって他の学者たちよりも、疼痛知識に就いて劣る。よって彼らの間には古典的な痛み治療の考え方が今でも支配しており、アップツーデートにそれがブラッシュアップされることが少ない。よってトリガーポイント注射で何でも治るというような理論が消えずに残り、マスコミをにぎわしている。

麻酔科学の疼痛治療の思惑

麻酔科学より派生したペイン科は痛みを取り除くための専門家である。神経ブロック注射によって痛みを治療するという立場にあるため、痛み治療に関して整形外科医よりもモチベーションがかなり高い。よって整形外科医が治せなかった患者をも治してしまおうと意欲を燃やすので疼痛治療に対する考え方は真実に近いと思われる。治るものは治療として成立し、治らないものは治療として成立しない。よって痛みに効かないブロック注射はどんどん淘汰される。彼らの研究は患者の痛みを治療することで得られたデータにもとづく。よって真実に近いと思われるが超えられないハードルがある。それは、医学論文は治療から病気のメカニズムを解明できないということ。
例えば、風邪を引いて熱を出している人に、生姜湯をのませると風邪が治ったとする。しかし、生姜湯で治っても風邪のメカニズムはわからない。反対にウイルスが集団発生しているところに患者をつれていくと風邪にかかった。こうなるとウイルスが風邪の原因とわかる。というように、破壊からはメカニズムが証明されるが、治療からはメカニズムが解明されない。
ペイン科の医師は、とにかくブロックで疼痛を治療してしまう。その点は素晴らしいが、治療ではメカニズムの全ては解明されない。よって彼らの論文は他科の臨床医に信じてもらえない傾向がある。確固たる証拠がなければ、医学論文は信じてもらいにくい。ペイン科の医師たちは疼痛メカニズムの解明において鋭い勘を持っていながら、その勘は他の学会には受け入れられないことが多い。
さらに彼らの弱点がもう一つある。ペイン科の医師しかできない治療法にこだわりすぎるという弱点だ。それは交感神経ブロック。彼らは疼痛治療にしばしば交感神経ブロックを用い、それは他科の医師にできない手技のため、交感神経ブロックを十八番にしたがる。それには違和感を覚えざるを得ない。交感神経節ブロックがいろんな疾患に有効であることはわかるが、ブロックのリスクが高すぎて治療にならないことをもう少し考えてくれることを願う。
  ペイン科の医師は疼痛メカニズムについて整形外科医よりも知識が豊富である。だが、そのかわり変形などが原因の関節痛にはあまり興味を示さない。変形を手術的に治すのは整形外科の領域であるからだ。ところが人の体に起こる痛みは、変形の痛みも神経痛も、全て混合して出てくる。よって混同した痛みの場合、患者をうまく治せない。また、痛みばかりに神経を集中させるがゆえに、患者の生活指導や姿勢、運動療法など環境に気を配ることに劣る。患者によっては手術療法の方がすみやかに完治に導ける場合があるが、手術適応に興味を持たないためそういうことを考えず、だらだら治療を続けてしまうこともある。
総合的に見て、神経痛はペイン科の方が治療技術においては整形外科よりも一枚上手である。だが、クリニックの数が整形外科ほどないので最寄りのクリニックが町内にない場合が多い。体が不自由な患者は遠方まで通院することは不可能であることが多く、最後に整形外科で手術というパターンになりやすい。残念である。ペイン科は治すことよりもむしろブロックリスクを減らすことに集中して修行すべきであると思う。ブロック時の痛みや合併症が最大の障壁なのだから。リスクの障壁を超えられれば、もっとも優れた治療科であると断言できる。

薬学の疼痛治療の思惑

薬学での疼痛研究で興味があるのはレセプターのみと言っていい。彼らは分子レベルで疼痛信号のやり取りの経路を解明しており、実は疼痛研究がもっとも進んでいるのは薬学である。薬学の基礎は破壊の医学。つまり、一つのレセプターを破壊して、そこに疼痛介在物質を効かせ、無反応ならそのレセプターが疼痛の伝達に関与しているという論文の持って行き方をすることが多い。さらに薬を効かせると疼痛介在物質が生産されなくなる。というような理論で疼痛メカニズムを解明していく。しかし、これらの理論は正しいようで間違いに陥りやすい。分子レベルのメカニズムは歯車の一つであり、歯車を一つ抜いて痛みを治療しても、また時間がたてば他の歯車が回り始めたりして、いつまでたっても全体像を推測できるまでに至らないというところである。薬学の思考は経時変化にまだまだついてこられない。
分子レベル(ミクロ)の研究は、その歯車が100個も200個もあるため、全貌が見えるようになるためには時間がかかる。よって彼らが鬼の首をとったかのように喜んで疼痛メカニズムを説明するが、それらは臨床医にとって何の役にも立たない場合が少なくない。よって整形外科や麻酔科などの臨床医は彼らが解明した疼痛メカニズムに興味を示さず、彼らの貴重な情報が臨床医に伝わらない。しかし、彼らの論文の中には臨床医の論文を覆すことができるほどのトピックスがある場合があるのだが、おおざっぱな臨床医はそれらを軽く無視をする(またはついてこれない)。
薬学の短所は、痛みの発信源を特定することにあまり興味を示さないところである。薬は全身に効いてしまうので発信源を特定できたとしても、その場所だけに効く薬は作れない。指先が痛みの原因でも、頭にも膝にも薬は配られる。本来、人間の痛みを完全に治療するには、痛みの発信源に注射などで薬物を撒き、その薬物がそこに長期間とどまり、炎症を抑えていくという方法がもっとも望ましいが、そういう薬は経口薬よりも利潤が少ない。薬だけで完結しない。何にでも効くという状態の方が儲けになる。という理由から開発が進まない。基本的に薬学も自分たちの利益にならないことはしないのは共通している。
彼らの研究はもっぱら痛みの歯車をはずしてしまって痛みを脳に伝えないというところに偏っている。よって発信源の治療というものに全く興味を示さない。だが、人間の体は歯車をはずしても、その歯車を使わない別ルートを作り出し、痛みを脳に伝えるという何重もの対策が施されている。よって薬は最初は効くが徐々に効かなくなる。そういうことを認めようとしない彼らは永遠に完治させられない薬ばかりを作ることになる(その方がもうかるかもしれない)。
もしも本当に患者の健康増進を図るのであれば、経口薬ではなく注射薬の開発を第一にすべきなのである。例えばATPレセプターをブロックし、長くその場所に留まる注射薬を開発し、それを後根神経節に注射する。このような薬学と臨床のタイアップがあればもっと多くの患者を救える。だがお互いに利己的なため、それはなかなか実行されない。

神経生理学の疼痛治療の思惑

神経生理学は基礎医学であり、疼痛をもっともシステマチックに考えようとするところである。よって薬学であろうと麻酔学であろうと、システマチックであると思った論文をどんどん取り入れ、それらを統合してシステムを解明しようとする。その学術論文に対するどん欲さは非常に素晴らしい。よって、疼痛メカニズムの総合知識という意味で、神経生理学に勝る学問はない。彼らがもっとも多くの知識を身につけているしもっとも勉強熱心だ。
だが、彼らはそれゆえ頭がもっとも硬い。教科書に書かれている内容に忠実であろうとするがゆえに、教科書の理論に自分たちの考えた新たな理論を築いていこうとする。しかし、その土台である教科書が間違っていたら…彼らの理論は他者を否定する方向にばかり行ってしまう。彼らは推測や仮説を嫌う。よって麻酔科などのように「治療してデータをとる」ということには興味を示さない。前にも述べたが、破壊して得たデータはシステマチックであるが、治療して得たデータからはシステムを証明できないものだ。もっとも疼痛知識が豊富な者が、治療に興味を示さないことは皮肉としかいいようがない。
臨床医は「どう治すか?」に終始頭を使う。しかし彼らはどこを破壊すればシステムが解明するか?に興味を示し、両者はまるで油と水のように相容れない。破壊は証拠はとれるが、人間のシステムの歯車の一つを見ているにすぎない。よって臨床に応用できない。まことに残念でならない。彼らの知識は点々としていて、それらが線としてつながり、そして線が面となって治療に応用…ということにならない。
彼らの最弱点は時間の流れが思考回路にほとんど組み込まれていないところである。人の疼痛メカニズムは時間と共に変化する。受傷直後、急性、亜急性、慢性…と疼痛のメカニズムが著しく変わる。その経時的変化を考える頭が弱いために理論をつなげていく力に欠ける。常に、ある一点とある一面を見つめ、いろんな説を検証する。だから治療によって疼痛メカニズムがどう変化していくか? この時期には抹消を治療すべきで、この時期では中枢を治療すべきで…といった時間変化にはついてこれない。経時的変化は彼らの持つ知識をフルに用いても、いまだに解明できない一つの課題である。
軸策反射、wind up現象、sprouting、エファプス、様々な受容体、疼痛メディエーター、GABAなどの抑性系、などなど、彼らは多くの知識を持っている。だが、それが経時的にどの時点で発現し、どのくらい継続し、何をどうすればそれらの現象を抑えることができるか? 治療をどの程度継続すれば出来上がった疼痛システムを解除できるか?にはあまり興味を示さない傾向がある。彼らの知識を臨床に応用するためには、経時的な研究と治療面での研究をおおいに活性化させなければならないが、それは簡単なことではない。簡単ではないからこそ彼らにやって欲しいと望んでいる。

最後のるつぼ=心療内科

疼痛治療に心療内科がでしゃばることは本題から外れていると私は感じる。痛みは最終的に脳が感じているのだから、脳がおかしいと痛みが出るとする心療内科的な思考に私はいつもあきれている。痛みは人間における最大の精神的ストレスであり、痛みが24時間365日継続していれば、誰だって気が変になる。それを精神のせいにするのは言語道断であると言いたい。精神異常は痛みストレスの結果であり、または、痛みの感受性が強いからであり、基本的には痛みの原因を削除してしまえば精神疾患も治ってしまう(治らないと主張する者もいるが、程度は桁違いに低下する)。原因と結果が逆転してしまっていると思う。疼痛の専門家は「理屈に合わない痛み」「ブロック無効の痛み」を精神疾患と決めつける。私はそれに大きな違和感を覚える。ここでは詳細を述べないが、精神異常とはどの場所の異常のことを言うのか?もっとまじめに研究すべきである。自律神経や脳幹にある様々な脳神経核などは人間にあらゆる不可思議な症状を起こさせる。これらは心因性とされることが多いが、自律神経や脳幹を「心・精神」とすることには同意できない。また、感情と共に自律神経が動くのだから自律神経が狂えば思考や性格が歪むのは当たり前であり、それを精神疾患としてよいのか?と思う。治療できない箇所を「心・精神」としているだけではないか!といつも思う。最近は抗うつ薬であるSNRIが線維筋痛症の適応となり、線維筋痛症が一歩精神疾患に近づいたと感じる。治すのではなく精神的にごまかす方に向かっている気がしてならない。
以上整形外科医は手術の腕がほしい。麻酔科医は痛みを治すブロック技術が欲しい。薬学はレセプターに拮抗するものを見つけたい。神経生理学はシステマチックに証明された論文が欲しい。そして最後に精神科では脳の活動性を破壊的に低下させて痛みを感じないようにさせる・・・
これらの思惑が利己的にうごめき、学者はそれぞれが自分の立場がよくなるように利己的に振る舞うため、疼痛治療は混迷をきたしている。

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