医者の責任力
私は約20年後にピークを迎える超高齢化社会に日本が世界が耐えうるように「高齢層の健康増進計画」を立てています。「おまえごときに何ができるんだ!」と笑われてしまいそうですが、日常損傷病学を立ち上げた目的は「死の前日まで元気に歩いていられる社会」を世界に築くことです。そのために誰かが本気で行動を起こさなければならないと考えました。そしてこの10年間、他の医者が治せない症状・疾患を「安全に治す方法」を次々と編み出しました。そろそろこの技術を世に広めようと考え始めたのですが、そこで大きな壁に突き当たりました。他の医師に技術を教えた時に、安全性が確保されるだろうかという問題です。万一医療事故が起こった際にその責任をどうやってとればよいだろうか?という問題です。私は既に「医療ミスが起こって患者に重大な後遺症を作ってしまうことになったら、法の裁きを受ける」という覚悟をしています。そうした覚悟の上に私の築いた「他の医者が治せない難病を治せる」技術があるわけで、逆に言うと「覚悟」がない医者には私の技術を伝えることができないという大きな壁があります。医療技術の推進のためには「覚悟を決めた医者たち」の力が必要であり、そうした精神力こそが必要とされています。ここでは「覚悟」を決めた医者にのみ「考える力」が宿るということを解説していきます。
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痛くない注射が一流のホームドクターを作る
ここでは痛くない注射ができることがホームドクターにおいて最高に重要であり、痛くない注射ができるようになると教科書的には治せないとされる種々の疾患を治せる稀少で特別な名医になれることを解説していこうと思う。注射を痛くなくできる腕は想像以上に役に立つ。
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脊椎治療の唯一無二の治療=安静
痛みを感じるには電気信号が生成される必要がある。電気信号を継続的に生成させるにはスイッチと発電機とスイッチが切れないようにする装置が必要となる。これらの装置が働くことで「痛みが長く継続する」状態が確保される。神経に針を刺しても、皮膚や筋肉に針を刺しても、痛みは一瞬しか持続しない。ところが、人間にとって組織が切れたままで動くとさらに組織が壊れて致命傷となる。したがって脳に対し「切れた部分を動かさなくする信号」を切れた組織が送ろうとする。それが痛みの持続信号である。
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ブロック注射のいろは
まず可能な限り細い針を使用することが原則です。私はリーチが足りない場合を除いて27G 針しか使用しません。針が細いことで動脈や神経を直接刺しても合併症がほぼゼロになります。細いほど確実に痛みが小さくなります。次に左手指の有効利用です。刺入部付近を指圧して刺入時の痛みをやわらげること。指圧して皮膚から目的地までの距離をできるだけ短縮させることです。これにはコツがいります。常に局所麻酔をしながら行うこと。皮膚を針が通る痛みは指圧でやわらげ、皮膚から下は局麻剤で痛みをなくします。つまり0.1㏄注射液を入れては3㎜針を勧めるというような感じです。焦りは禁物です。ゆっくり行います。極めてゆっくり刺入することで電撃痛を回避できます。自分に針を刺してみればその意味が分かります。
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なぜ他の医者が治せない症状を治すことができるのか
私はあらゆる不定愁訴、自律神経失調症、めまい、耳鳴り、頭痛、成長痛、手術以外に治す方法がないと言われている関節症の数々、腰部脊柱管狭窄症、腰椎椎間板ヘルニアなど、数えきれないほどの治せない疾患・症状を特殊な神経ブロックで治してきました。治すとは症状が3割以下に軽快した状態が4週間以上続くことと定義しています。「治せたという証拠になるものは何かありますか?」と質問されれば、私はこう答えています。私は整形外科医として診療をしていますが、私の担当患者で手術に至った患者は全ての疾患を含めて5年間で2名(外傷は除く)しかおらず、「なかなか治らないので他の病院を紹介してほしい」と言われて紹介状を書いた経験も5年間で0名でした。と答えています。このくらいしか証拠として提出できませんが…
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医学書では学べない高等診断技術
まず千年後の医学書を想像する。するとほぼ全ての内容が刷新されていて現在(千年前の)医学書が使い物にならないだろうと予想される。千年後も変わらないのは解剖学や生化学などの基礎の分野のみで、それらでさえ新たな発見が多数加わっているだろう。内科や外科学などのような臨床の医学書の千年後は内容が著しく変わっている。現在、真実とされている診断学が全く誤りであったなどという箇所が次々と発見されては改訂されるからだ。医道に誠実な医師は「医学書が真実を述べていない」ことを直視するが、不誠実な医師は国家試験を受けて医師の免許を習得したことを大上段に構え、己の高い地位を傘に「現医学の正当性」を主張する。
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医師の能力は適応力である
現在、医師の治療能力を正確に判定するツールがない。よって医師の能力は認定医資格、博士号、地位(役職)などの肩書きで判断されている。経験した症例数、手術件数なども医師の能力を示す指標として妥当だが、症例数を重ねるだけでは実は医師の能力は上がらない。その理由は、自分の得意分野ばかりを研究するために専門バカとなるからである。医療界に専門バカは当然必要であるが、真に国民の健康を維持し、国力を保持するためには、専門バカではなくオールマイティな医師が必要である。その理由は高齢者になるといろんな科にまたがった疾患を何種類も合併することによって専門家には理解しえない症状を呈するからである。合併して出現した症状は、専門家が専門知識で専門分野のみを治療しても完治しないのである。
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医療の限界を超えるために
医学はさまざまな学問の中、もっとも保守的な学問の一つ。それは人の体を扱う上で、間違った知識がはびこると人の命に悪影響を及ぼしてしまう。そういった責任があるがゆえに検証につぐ検証を行ってからでないと新しい知見が認められないからだ。だから学問自体が既成事実を重要視する→過去の学説にとらわれて学問が大胆に発展していかないとなる。だから医療の進歩は工学や機械学などに比べると非常に遅い。また、医療の進歩が遅い理由は保険制度にある。保険制度が認めている治療以外の治療は「保険外扱い」となり、高い実費がかかる。また、保険外の治療で患者に悪いことが起きれば、その責任は治療を行った者がとらなければならない。
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教科書を超えた治療法
ここでは私が身に付けた教科書を超えた治療法を紹介する。これは自分の医療技術を自慢しようとしているわけではなく、現在の医療で「治療法なし」「手術しなければ治らない」などと言われる疾患でも工夫と努力で治せることを示したものである。いわば現医療で限界とされるものを超えて治療を成功させたものである。努力すれば医療はいくらでも既成概念を覆し、限界を突破できる。信じなければこの話はここで終わる。ここでは症状別に「どのように治療してきたか」を羅列していく。
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患者を幸せにする医療であれ
いつから医療がコンビニエンスストアになってしまったのだろう。いつからサービス業に成り下がったのだろう。医は仁術と呼ばれた時代は去り、今は医は営業になってしまっていると感じる。医をお金儲けの道具と考えると患者=お客様であり、お客様の機嫌をよくしてさしあげることが目的となる。しかし、機嫌をとることで人が幸せになるのであれば苦労はしない。親が子供の機嫌ばかりをとっていれば子供はまともに育つはずがなかろう。嫌われてでも叱ってしつけるからこそ、子供は幸せな人生を送ることができる。
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私の治療成績が高い理由
私はこれまで他の医者にかかっても治らないという患者ばかり治療してきました。他の医者が治療の手を出すことを嫌がる患者様にも積極的に治療してきました。そして実際に高い治療成績を出し、多くを手術することなく社会復帰させています。例えば脊柱管狭窄症をわずらい「歳だから今の症状は当たり前、仕方ない」と医者に宣告された人を元気に歩けるようにしています。また、数年前より車イス生活で、本人や家族さえ独力で歩くことをあきらめていた人を歩けるようにしたり、脳梗塞で半身麻痺でしびれのある患者様を積極的に治療し痺れを治癒し、歩行を今まで以上にスムーズにさせたりというようなことをしています。おそらく常識を超えた治療効果をあげています。
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折れないでほしい医の心
日本は言わずとも超高齢化社会に突入した。「この社会を変えない限り、若者の夢や未来は打ち砕かれる。」この言葉を医療は現実化している。高齢者にかかる医療費が莫大であり、これが若者たちに行くべき国家予算を食いつぶしている。それゆえ、医を志す者はこの高齢者医療の異常さを常に心に持っておきながら医療に従事しなければならない。お金(国家予算)のことを考えない医療は、そもそもありえない話なのである。医師は高い志を持ち、「お金に関係なく道を極める」べきだと若い医師は思うだろう。だが現実はそうではないことを若いうちから知っておかなければならない。お金なくして医療はありえない。そのことを無視すると、将来、医の心は折れる。
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他の医師の誤診を見破る技術
私は他の医師が治せない、または治すには手術しか方法がないが手術をしても治る保証はありませんと宣言された、患者を保存的に根治させることを専門としている特殊な医師です。私に何か現代の西洋医学を超えた特別な力があるわけではありません。ただただ他の医師たちの誤診を見破り、誤診の下に隠れている真の疾患を発見し、その疾患用の適切な治療を行うだけです。ただし私を来院する患者は大学病院の教授診も、その道でトップクラスの専門医も受診し、それでさじを投げられるような強者ばかりです。つまり、その道の権威によって「治療困難」「精神疾患である」と診断を下された患者たちです。私はそうした地位や名声のある医師たちの診断の誤りを見破るわけですから、それは皆さまが想像しているよりもはるかに物騒なことをしています。なぜなら誤診を見破ることは権力のある医師たちの顔に泥を塗ることそのものだからです。普通の医師ならおじけづいて手を出さない患者を専門に診療をしています。物騒なことを毎日毎日繰り返していると、やがては誤診を見破ることが趣味となってしまいます。これが、私が「他の医師が治せない疾患を治せるようになった」きっかけです。
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痛みを治療するなら痛みのわかる医者であれ
もっとも当たり前のことを言わなければならないことを残念に思うが、患者の痛みを治療できる医者になりたいのなら、患者の痛みがわかる医者でなければならない。しかし、患者の痛み、人としての痛みがわかるようになるには医者が君主や官僚であっては無理である。上から目線で人を見下す傾向にある医者という職業にあっては人の痛みはなかなかわからない。よってほとんどの医者には人の痛みを真に治療することはできないというまことに残念な現状がある。世界の医療を覗き見ても、開発途上国の医師ほどお金に汚く、人の痛みを商売にし、痛みを理解しているとは思えないふしがある。残念なことである。
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病院大繁盛の法則
私は今年【2015年】4月に開業した。開業初日から予約でいっぱいであった。おそらく新規開業で初日から患者でぎっしり埋まるクリニックは他にないと思われる。ぎっしり埋まった理由は週1回勤務していた病院の近くに開業したためで、私が開業したと同時に私のかかりつけの患者のほぼ全員が私のクリニックへ移った。患者の病気を治すことができる医者であれば開業しても経営が即安定する。私の患者はほぼ全てが私の追っかけであり、私が移動するところにはやってくる(通院圏ならば)。患者を的確に治せる技術を持てば、どこで開業しても大繁盛間違いなし。ここでは患者を薬漬けにして徘徊させるよりも、どんどん治していく方が経営が安定することを述べて行く。患者の幸せを第一に考える病院が繁栄しないはずがない。
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