マクロ的な治療の見解
治療とはミクロ的に見れば細胞が死に、マクロファージに食されて掃除され、新しい細胞が分裂して生まれるというサイクルの障害となるものを取り除いていくことを意味します。 一方、治療のマクロ的な見解は症状を抑えることです。 ミクロとマクロの両方の考え方を治療に組み入れる必要性が生まれたのは人間が長生きしすぎるようになったからです。ある症状を長年抑え続けることは、他に副症状をまねくからです。短期間の症状抑制なら問題にならないものも、長期間の症状抑制となると種々の不具合を生じます。 そこで治療とはミクロ的には何に何が作用し、その結果マクロ的にどういう症状や副反応が出るのかを研究しなければならない時代になってしまったということです。 さらに高齢は現医学水準ではどんなに治療しても治すことができません。よって「治療しても治るものと治らないものがあること」を治療開始前から認識しておかなければならなくなりました。
患者には老化による不可逆なもので治しようがないものあることを教育していかなければ「ないものねだり」を医師に要求し、医師はそれを利用して多大に大儲けするという商業に走りやすくなり国の財政に打撃を与えます。 「ないものをねだる」とその代償に全財産を食いつぶします。そういった高齢者の浪費を許せば、若者たちの経済力を食いつぶします。人が健康で長生きしたいと願う欲望が若者の経済力をくいつぶすのです。 そもそも私がこうした新しい概念を立ちあげたのは、そうした高齢化社会のいびつさを医学方面から何とかしなくてはと思ったからです。