損傷
これまでの医学は損傷を防ぐということに対してほとんど無力でした。損傷して傷ついた病気を治療するのが医学でした。日常損傷病学では損傷自体を科学的に研究していきます。 例えば、これまで損傷機転と考えてこなかった重力、気圧、温度差、なども損傷機転として研究し、病態生理に取り入れて考えます。例えば、寝具、椅子、姿勢、歩き方、居住地域なども損傷機転です。つまり、ただ生きているだけで損傷が加わっているという新たな概念を構築し、そうした日常生活から指導して損傷を防ぐという新たな医学フェーズに進んで考えるという意味です(整形外科的研究に偏っていることはご容赦ください)。損傷には易損性という「遺伝的にそなわった脆弱性」が大きく関わります。ある人は重労働をして激しいスポーツをしても一生腰痛さえも出ませんが、ある人は重労働もしていないのに、立っているだけで腰痛が起こります。これは持って生まれたものの違い(個体差)によるものです。
私は現在、小児の脊椎の遺伝的個体差の研究に取り組んでいます。持って生まれた骨格の弱点を研究し、未然に骨格疾患を防ぐためのガイドラインを作るためです。生まれ持った骨格を診察するだけで、将来起こり得る運動器疾患を予測する研究です。この研究が進めば、「この仕事を何年続ければ腰椎が破壊される」などの予測が立てられるようにもなるでしょう。予測することは職業選択時に有益であり、さらに来るべき高齢期に寝たきりにならないような指導を幼少期からすることができ、高齢者の要介護人口を減らすこともできるでしょう。
損傷はある一定の力を加えると起こるものではなく、力学的に弱い個体はほんのわずかな外力ででも損傷が起こります。よって損傷学は遺伝的な個体差から考察しなければなりません。今までの医学ではそれができていなかったため、例えばむち打ち損傷では訴訟トラブルが相次いでいました。ある人は全く症状が出ないのにある人は常識外れた重症になるというような例があるからです。 損傷を防ぐには、個人個人の脆弱性の診断から開始しなければなりません。そして生活指導も個人個人で大変異なるということです。
生きることが損傷
呼吸をする、重力に抗する、気圧に対抗するだけでも組織は損傷します。体内の一部の細胞を除いてほとんどの細胞が常に生まれ変わり入れ替わるのは生きていることが細胞を破壊していくことであることを意味しています。 患者はしばしば「私は何にもしていないのにどうしてこんな症状が出るのですか?」と質問しますが、生きているだけで細胞が損傷するということを医師は最低限常に認識しておかなければなりません。運動したから、転んだから損傷を起こすわけではありません。 体重が重い場合は座っているだけでも脊椎は損傷します。背骨に側彎があればなおさらです。運動をすれば劣化スピードは上昇します。昨今「運動すれば何でも治癒する」というような意見が多く見られます。特に内科医が成人病を改善させるために高齢者に歩行を勧め、そのせいで脊柱管狭窄症の症状が進んで寝たきりになってしまう例も散見します。運動が吉と出るか凶と出るかは個人のうまれつきの骨格の脆弱性など様々な要素がからみあっていることを忘れてはなりません。同じように体を鍛えても同じように丈夫な体になるわけではありません。車軸の歪んだ自動車でゆっくり走ってもすぐに故障をするように、骨格が歪んでいる高齢者の場合、歩行するだけで脊椎が破壊されていきます。画一的に「運動しなさい、歩きなさい」と指導することは高齢化社会では有害となる場合があります。運動を指導するならば、同時に休み方も指導しなければなりません。
内臓は食事をとることで損傷を起こし、骨格は重力に抗して立っているだけで損傷をおこします。まずはこういった「生きている限り24時間組織損傷が絶え間なく起こり続けている」「壊れて死んだ細胞は回収されて新生して細胞が絶えず入れ替わる」「これらのバランスが崩れることで症状が出る」という細胞損傷の概念を持つことが大切です。大変複雑ですが、今後の医療に求められていることです。